神保町の窓から(抄)

▼憲法がらみで自公政権がゴタついている。「明文改憲」が簡単にできないことは戦後史が立証している。すべて「解釈改憲」でやり過ごしてきた。今度の集団的自衛権についてもそれで行こうとしている。安倍内閣はその行使を認めさせるために閣議決定を急いだ。首相は「急いでいるわけではありません」と口では答弁していたが、目は急いでいた。こんなことになぜ躍起になるのか。アメリカにいい顔をしたいのは分かるが、「具体的事例」なるものを出されても、鉄砲をぶっ放さなくても片づくと思えることばかりだ。やられたらやり返すというなら、心理的には多少理解できなくもないが、やられるかも知れないからやっつけるという論理は危険だし、際限もなくなるだろう。石破幹事長も「わたしたちは戦争をしたがっているわけではない」と盛んに「積極的平和」を強調するが、平和に積極も消極もあるまい。戦争は具体で、平和は抽象である。何もしない方が平和は保てる。その証拠はわが戦後史そのものだ。日本はこの70年近い間、憲法九条を抱きしめて、「戦争はしたくねえな」という暗黙の合意を守ってきたではないか。どんな分からず屋にしても、若者たちには軍服を着たり、徴兵検査をうけることなど青春の予定には入っていなかったはずだ。この意味では九条は力強いし、日本はエラかった。
 戦争という国家事業は権力が構想するものだが、戦争には金と生命がふんだんに投入されるものだ。北朝鮮がミサイルをぶち込んでくるかも知れない、南の無人島を中国に占領されるかも知れない、と戦艦を増強しなくてもいいだろう。あれこれ理屈をつけて、戦争ができるようにしておこうと、いかにも「備えあれば……」的なことにカネをつぎ込むのはばかげている。ほかに、もっとやることがあるだろう。東北の復興・再生の問題もあるし、事故原発の処理もうまくいってない。国債の赤字はどうするのだ。安倍の思考には愛嬌がない。民主党に失望し、安倍に絶望し、ダンゴ虫みたいな野党の群れにも希望はない。今のわれらは、ハーブなど吸って朦朧としているときではない。飲んでいるときでもない。
▼間もなく刊行する本についての予告的な話。35年前に『評伝横山源之助』を上梓した、大原社研にいた立花雄一さんと知り合ったのはいつだったろうか。該書の版元創樹社の玉井五一さんと一緒だった。社会評論社が閉鎖になり『横山源之助全集』の刊行が難しくなって、わが社でその後を継ごうか、などと無茶なことを考えていた時期だった。新宿の飲み屋だった。立花さんも若かった。話の内容は忘れたが、源之助か米騒動かについて何かまとまったら声をかけてもらいたい、と云って別れた覚えがある。去年の暮、その立花さんから電話がきた。「話がある、来てくれ」。もう高齢だし新しい原稿ができたとは思えないが、急いで自宅に向かった。立花さんは元気だった。そこで預かったのが、今度刊行する『隠蔽された女米騒動の真相』である。それは、大正7(1918)年に魚津地方に起こった米騒動について、富山県警察部が治安のために作った「参考書」を、18年後の昭和11(1936)年に同県の特高課が編集し直した資料をもとに仕上げた原稿だった。この資料の大もとは昭和5年に富山県庁全焼の折に焼失、昭和11年に滑川署が保管していたものを発見再編集したものという。
 記録の主眼は、新聞記事の取締りにおかれ、「大正7年富山県下ノ所謂米騒動ニ関スル富山石川大阪ノ諸新聞記事一覧表」「所謂「米騒動」ニ関スル新聞中特ニ注意ヲ要スル記事一覧表」など、記述は詳細を究めている。後者の資料では「北陸タイムス」「富山日報」「北国新聞」「高岡新報」などが精査され、特に「高岡新報」が目をつけられている。例えば米騒動の最中の特派員記事については、「特派員ハ奥井社員ナリ 其ノ観察不当ノモノ多シト認ム 社会ノ木鐸ヲ以テ任スルハ余リニモ恥多キモノトス 大活字ヲ濫用シテ無稽且誇張ノ記事ヲ満載シ以テ公安ヲ紊ルモノト認ム」と記者の名を特定し、右のような批評を記している。また、騒動の日録では、米屋の前に五、六百人が集まってきたので巡査が数十名出動しているのに、「乱行ニ出ツルノ機会ヲ得スシテ空シク解散スルニ至レリ……」とか「警察官吏ノ懇篤訓戒ノ上解散セシメタリ」というように、騒ぎなど起こっていない、富山は平穏だ、騒動はない、大げさにしたのは新聞だ、という記録である。中央に対するメンツなのか、公記録が都合よく捏造されているのだ。米騒動に関する先行研究である法政大長谷川博・増島宏「米騒動の第一段階」、京大の井上清・渡部徹『米騒動の研究』、田村昌夫他『いま、よみがえる米騒動』などにも触れられていない資料を収録する。富山における米にかんする騒動はほぼ一年おきに起こっており、騒擾罪の適用も検討されていいのだが、富山県の治安当局は騒擾罪どころか、県内で発生した騒動は罰しないことにしてきた。なぜ、当局が騒動を弁護するような矛盾を犯したのか、本書によってその謎が解けると思う。7月刊。 (吟)