• TOP
  • PR誌『評論』
  • PR誌『評論』196号:カメハメハ・アベニューより  ──『労務管理の生成と終焉』刊行によせて

カメハメハ・アベニューより  ──『労務管理の生成と終焉』刊行によせて

榎 一江

2014年3月、小野塚知二氏と共編で『労務管理の生成と終焉』(本体5800円)を上梓した。小野塚氏を代表とする比較労務管理史研究会の10年にわたる研究成果をまとめたものであり、編者のほか、木下順、清水克洋、関口定一、松田紀子、市原博、禹宗杬の諸氏が執筆した。2013年度法政大学大原社会問題研究所叢書として刊行助成を受けたため、年度内に刊行すべく、関係者の方々には少々無理をお願いして無事刊行された。
本書を手にした翌日、日本を離れ、ハワイに来た。疲れを癒すバカンスであればよかったのだが、一年間の在外研究のためである。ハワイといえば、観光客が大挙して訪れるワイキキが有名だが、ハワイ大学近くのカメハメハ・アベニューに居を定めたため、ワイキキの喧騒とは無縁の生活を送っている。もっとも、車で15分もかからない距離だから、ファーマーズマーケットやカフェでは日本人観光客をよく見かけるし、日系の住民が多い地域なので、日本的な名字を持つ人も少なくない。ちなみに、現地校に通う子供の担任はミセス・ワタナベだが、日本語は話さない。学校のイベントでは炭坑節に合わせて親子が盆踊りを披露していた。
日本になじみの深い場所とはいえ、やはりアメリカである。渡米前から車がないと生活できないとのアドバイスを受けていたが、私には免許がない。とりあえず、筆記試験を受けて仮免を取得したが、移動手段はもっぱらバスである。現在のところ、どこまで乗っても2ドル50セント(子どもは半額)のバスがホノルル市内唯一の公共交通機関となっている。ただし、バス停に時刻表はなく、あらかじめ時刻を調べて行っても、時間通り運行されている保証はない。予定時刻前に通過してしまうこともあったし、遅れることは日常茶飯事である。
先日、30分遅れで到着したバスに乗ったら、運転手が道を間違えてしまった。平謝りで、元の通りに戻ると言うので了承したが、バスはそのまま直進し、別の路線を通ったあげくフリーウェイを疾走し、かなり遠回りをして元の通りに戻った。時間の遅れを気にしていた私をよそに、後ろの客は、「ノープロブレム!」と陽気に答えていた。そういえば、バスの運転手が路上に停車し、乗客を置き去りにしてトイレに駆け込むのにも何度か遭遇した。子供が、学校で多くの人が授業中に「バスルーム!」と手を挙げてトイレに行くのに驚いていたが、休み時間は遊んでいてトイレにはいかないらしい。ならば、仕事中にトイレに行くのも当たり前なのだろう。
意外かもしれないが、このバスも慣れれば快適に使える。各車両にGPSが搭載されているおかげで、スマートフォンでザ・バスのサイトにアクセスし、バス停番号を入力すれば、到着予定のバスが一覧で示される。直近のバスがあと何分で到着するかがわかるし、さらに、そのバスがどこを走っているかを地図上で確かめることもできるから、待ち時間を計算できるのである。
運転手の教育訓練を徹底し、厳密な労務管理によって定時運行を追及する方向もあるだろう。日本では、利用者もそれを期待している。しかし、車社会では交通渋滞は避けられないし、車いす等の利用者が多ければ乗り降りに時間がかかる。それを当然と了解するなら、利用者としては、正確な到着時刻がわかりさえすればよいのであり、GPSはそれを可能にする技術である。利用者がバスの運行状態を直接確認できるこのシステムは、われわれが製造業を前提にその生成をとらえた労務管理のあり方を根本から覆すもののように思われる。アメリカとはいえ、およそ「管理」という言葉の似合わない南の島で、改めて本書のテーマについて考えてしまった。
労務管理の生成をとらえた本書は、主として19~20世紀の転換期に焦点を当てているが、その終焉をも射程に入れている。本書で検討されるアメリカ、イギリス、フランス、日本のたどった道は一様ではなく、執筆者の間でも「終焉」に関して確信があるわけではない。正直に言えば、最後まで書名に「終焉」を入れるべきか迷っていたくらいである。しかしながら、そろそろ、労務管理の終焉という事態を視野に入れてもよい時期にきているのかもしれない、というのが生成をとらえた歴史家として共通認識である。すでに「生成」はわかるけど、「終焉」はわからないといった声も届いている。興味を持った方は、ぜひ手に取っていただきたい。
[えのき かずえ/法政大学大原社会問題研究所准教授]