今なぜ渋沢栄一が注目されるのか

木村昌人

近代日本にとって渋沢栄一の存在は、現在の米国にとってのオバマのそれに匹敵するのではないか。意外だと思われるかもしれないが、二人とも国家が存亡の危機に直面しているときに、彗星のごとく現れた指導者なのである。
1840(天保11)年、現在の埼玉県深谷市の中農に生まれた渋沢栄一は、幼いころより論語を学び、家業にも励み商才を磨いた。黒船来航の動乱期、攘夷決行を図るが、計画の無謀さを諭され中止、京都へ逃れ一橋家に仕官する。ところが一橋慶喜が将軍になり、不本意にも幕臣になり悩んでいた栄一は、慶喜の推挙により、パリ万博参加使節団の一行に加わり、欧州に二年近く滞在する機会を得た。帰国後はヨーロッパでの実務経験を買われ、明治政府の民部省改正掛、大蔵省で新しい国造りに参画し数多くの新制度を導入した。しかし大久保利通との対立もあり官を辞し、約60年の後半生は、民間の立場から第一銀行をはじめ、500近くの企業の設立や経営に関与すると同時に、フィランソロピー(教育福祉、民間外交など)で近代日本社会の建設に尽力した。
その渋沢がここ2、3年静かなブームとなっている。日本で4冊、フランスで1冊、中国で1冊の計5冊、渋沢栄一に関する研究書が続々と刊行された。没後既に80年近く経過していながら、なぜこれほど内外で関心を持たれるのであろうか。
まず渋沢は、将来への展望が開けず閉塞感漂う現在の日本が渇望している人材と言えるからだ。彼は透徹した歴史観と『論語』に依拠した高い志を持ち改革を唱える理想主義者である一方で、問題解決や目標達成のためには、イデオロギーにとらわれず最善の方法を模索するというリアリストであった。さらに多様な人材を一つに纏める統合力、説得力と粘り強さを持ち合わせたリーダーだった。
次に渋沢の主張した道徳経済合一説が脚光を浴びているからだ。昨年秋以来、米国発の百年に一度という深刻な金融危機は世界経済を不況のどん底に落とし、各国はその対策に四苦八苦である。長期的には望ましい資本主義の仕組みをいかに再構築するかが問われている。つまり現在のグローバル社会が直面している貧富の差を是正し、環境破壊を防ぎ、人類が豊かで平和な生活を享受するために必要なグローバルガバナンスを創造することと言える。19世紀以来世界を席巻してきた英米型資本主義の限界が叫ばれる中、儒教思想に基づいた渋沢の道徳経済合一説は、中国、韓国などの儒教の伝統を持つ国ばかりでなく、ヨーロッパ、北米でも注目され始めた。西洋で経済学の祖と呼ばれるアダム・スミスも、「見えざる手」による予定調和の前提に道徳のある利他主義を持つ個人の存在が不可欠であることを語っている。「論語とそろばん」をモットーとし、モラルある実業家による資本主義、公益と私益の両立を説いた渋沢の思想は実に示唆深いと言えよう。
第三に渋沢が公益に根差した企業活動を提唱しているためである。現在では企業活動の目的は私益追求で、社会的責任という形でしか企業と公益との関係をとらえず、もっぱら公益は政府・地方自治体に任せきりである。NPO団体も数多く誕生したが、それとても活動資金は公的部門からの補助金に頼らざるを得ない状況にある。したがって、公益は徴収された税金を役人の手により配分するという過程を経ないと実現できない仕組みとなっている。いわゆる「官尊民卑」状態を打破し、民主導で公益を追求する仕組みを構築しようとしたのが渋沢であった。
こうした渋沢栄一の思想と行動を比較思想史の中で位置づけ、特に張謇(1853〜1926)との公益事業に対する取り組みの比較分析をしたのが、本年3月に刊行された陶徳民・姜克實・見城悌治・桐原健真編『東アジアにおける公益思想の変容—近世から近代へ』と『近代東アジアの経済倫理とその実践—渋沢栄一と張謇を中心に』の2巻である。三年に及ぶ渋沢国際儒教セミナー(2004〜2006)の国際共同研究の成果出版でもある。弊財団ではさらに「日中米の近代化と企業家」というテーマで6・7月の渋沢史料館を皮切りに、8・9月は南通博物苑で、10・11月は米国ミズーリ州セントルイス・マーカンタイルライブラリーで画像展示により、これら三国の近代化・産業化を比較し、新しい視点を提供したいと考えている。こうした試みが、新たな近現代史研究への刺激になれば幸いである。                                               [きむら まさと/渋沢栄一記念財団]