アメリカ研究の有用性

渋谷 博史

かつて冷戦時代がアメリカ的な自由主義の勝利に終わり、アメリカ・モデルの世界展開である「グローバル化」が猛烈に進み、日本人はアメリカの本質や主張を知ることに熱心であった頃に、我がチームのシリーズ「アメリカの財政と福祉国家」(全10巻、日本経済評論社)は好評を得た。 近年は、中国が経済大国として台頭して重要な隣国となり、関心が中国に移ったが、もう一歩踏み込んで考えると、アメリカ的な市場と民主主義になじんだ日本人にとって、中国を理解するのが少し難しいのであろう。 さて我がチームによる最新シリーズ「アメリカの財政と分権」(全8巻、日本経済評論社)は、そのアメリカ化されたはずの日本人に、すなわちアメリカのことを理解していると思いこんでいる日本人に、本当のアメリカの姿をみせるものである。キーワードは、分権的な「小さな政府」である。 「小さな政府」とは、市場経済と民主主義にとって必要最小限の活動を任された政府部門のあり方を指しており、逆からいえば、市場経済も民主主義も、「自立する個人」による「不断の努力」によって成り立っており、それを抑圧するような権力の危険性を排除する形の政府のあり方である。さらに分権的な「小さな政府」とは、必要最小限に限定される政府部門において、中央政府の権限を制限して、できるだけ地域コミュニティに近いレベルの政府の活動を尊重するものである。そうすることで、「小さな政府」が可能になるという考え方である。 シリーズの第一巻『アメリカの分権と民間活用』では根岸毅宏たちが、アメリカの分権的な「小さな政府」を根底から支えるNPOに焦点をあてる。第二巻『アメリカの分権的財政システム』(加藤美穂子)は州政府の企画力と実行力が根拠となって州・連邦政府間関係が形成されることをみる。第三巻『アメリカの教育財政』(塙武郎)は学校区(地方レベルの政府)による主体的な政策運営を、第四巻『アメリカの就労支援と貧困』(久本貴志)も地域レベルにおける多様な制度設計を、第五巻『アメリカの医療保障と地域』(櫻井潤)は多様な地域市場に整合的な形の医療保障を描き出す。さらに第六巻『アメリカの年金システム』(吉田健三)は最低保障の基礎年金(社会保険)が企業年金における市場親和性を可能にすることを明らかにする。第七巻『アメリカの国際援助』(河﨑信樹)は、アメリカ・モデルを世界に発信する国際援助の構造にも、分権と民間活用という特質が埋め込まれることを実証する。最後の第八巻『アメリカの財政民主主義』(渡瀬義男)では「民主主義的な監視」がアメリカ・モデルにおける必要不可欠なメカニズムであることが示される。 21世紀日本の高齢社会において、持続可能な経済社会と福祉国家を構築しないと、悲惨な将来をみることになろう。アメリカ・モデルをそのまま導入するのは無理であり、さまざまな副作用も予想されるが、それでも日本モデルによる分権的な「小さな政府」を可能にする自立的な地域コミュニティを再建したいものである。 20世紀の右肩上がりの経済成長の下で生み出された既得権を「民主的な監視」で削ぎ落としながら、自立的な地域力を育てるベクトルの政治や政府を、国民の「不断の努力」で再構築する過程でアメリカ・モデルが大きなヒントになると思って、仲間たちと現地調査を実施し、厳しい勉強会をやってきた。 21世紀の高齢化とグローバル化の不可逆的な進行の下で、自立的で自律的な経済社会と福祉国家と地域力を再建する時に、アメリカ流の厳しい民主主義と、やさしいフィランソロピーを背景とする分権的な「小さな政府」を知っておくことは有用である。資源制約が強まる時代に、「舌切り雀」に出てくる欲張り婆さんのように「大きなつづら」を選ぶと、日本社会は崩壊するかもしれない。 しかし他方では、せっかく子孫のためにお爺さんやお婆さんが我慢した資源を、軍拡や金持ち減税に回すのをチェックする「民主的監視」メカニズムも必要である。まさに国民の「不断の努力」が一番の基盤となるはずだ。 [しぶや ひろし/東京大学社会科学研究所教授]