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『工業化と企業家精神』刊行にあたって

川崎 勝

南山大学社会倫理研究所は、1980年5月26日、第三代学長ヨハネス・ヒルシュマイヤーの主導で、経済学部の教員を中心に、南山経済倫理研究所として創設された。高度経済成長にともなう公害問題裁判で原告被害者側が勝利していく状況下で、企業活動の倫理的側面の研究が必要とされ、産業社会での人間像、企業の社会的責任、福祉国家の再検討、現代社会の所有権思想、組織、技術、環境、高度消費などが研究テーマとされた。翌年には、法哲学、政治学などをも含めた、社会科学の倫理を研究する社会倫理研究所に改組され、現実の社会問題に社会倫理の観点からの取り組みがなされた。 研究内容も、カトリック大学の特徴を活かした、異文化間の多様な価値観の共有から、徐々に、実践倫理学、応用倫理学、環境倫理、技術者倫理、科学技術倫理、ビジネスエシックスとの提携、国際政治や平和、正戦論、生命倫理、脳科学関連へと射程を広げている。現在は、こうした直面するさまざまな社会的課題について、古今東西の叡智への敬意を基軸として、いま問われるべき問題を掘り起こし、地道に応答し、さまざまな領域の研究者・実践者たちとともに、実直かつ野心的に、新たな学術的営為の形を開拓していこうとしている。懇話会やワークショップ、国際研究機関とのシンポジウムの開催、その成果の講演記録などの刊行、機関学術誌『社会と倫理』、『時報しゃりんけん』に、研究成果と活動内容を知ることができる。 社会倫理研究所の創立30周年記念事業の一つが、『ヒルシュマイヤー著作集』の企画である。南山大学史料室が所蔵する「ヒルシュマイヤー文書」にある、現在では入手が困難になっている、経済・経営史分野の主要な論考・講演・対談を編集、『工業化と企業家精神』として題して刊行することにした。「ヒルシュマイヤー文書」は、経済・経営史に関する論考をはじめ、日本文化論、大学論、教育論、宣教関係、講義録、草稿、書簡など、活字、タイプ原稿、手書きの資料、約120箱、数千点からなる。日本文化論以下も、刊行の準備を進めている。 ヒルシュマイヤーの代表的著作『日本における企業者精神の生成』(邦訳1965年)と『日本の経営発展』(由井常彦氏共著、邦訳1977年)は、いまでは古書店でわずかに見かけるに過ぎない。年配の研究者には日本経営史の草分け、近代化論者として周知であろうが、若い人たちにはあまり知られていない。南山大学にあっても同様である。ある意味では、「忘れられた学者」なのか。そうならなおさら、この『工業化と企業家精神』の刊行は、ヒルシュマイヤーの業績を知る上で、きわめて有意義なものとなるであろう。 本書は、二つの著書の中間とその後に書かれたもので、日本の近代的企業家の出現、日本的価値観の体系化、欧米との比較からとらえた日本的経営、日本文化論、日本社会論が展開され、ヒルシュマイヤーの研究の多彩さをみることができる。特にローマ教皇の「回勅」についての論究は出色である。詳細は、林順子の解説、広瀬徹・岡部桂史・梅垣宏嗣の解題を参照されたい。 ここで、ヒルシュマイヤーの学会デビュー前のエピソードを一つ紹介しておこう。ヒルシュマイヤーは、1960年4月に開設された南山大学経済学部の講師になった。ハーバード大学に博士論文を提出した後、最初の著作を刊行するに当たって、改めて日本の歴史、とりわけ江戸時代の歴史を正確にする必要に迫られた。彼は、日本語はそれほど得意ではなかったといい、同時に赴任した須磨千頴氏(現名誉教授)に、協力者として白羽の矢を立てた。須磨氏は、上賀茂神社領研究など日本中世史を専攻する、南山大学で初めての歴史研究者で、日本経済史を担当していた。須磨氏は、赴任以前にすでに第二代学長沼沢喜市から協力を要請されており、毎週のようにピオ館に呼ばれて英文の原稿を読まされ、その助言は、即座にタイプ原稿に生かされていったという。ヒルシュマイヤーは、最初の著書に、「同僚かつ友人の南山大学の須磨千頴氏は、いつも徳川時代にかんする豊富な知識で、助力を惜しまなかった」と謝辞を記している。
[かわさき まさる/日本近代史]