神保町の窓から(抄)

▼今朝は元旦である。昨夜は、年末から予行演習が続けられていた「紅白歌合戦」に熱中するヘーワな家族を目の端に映しながら、自民一強の安倍政権の一年を思った。首相の何たる自信に満ち満ちた一年だったろう。「日本を取り戻す」をスローガンに、憲法改定をぶち上げ、集団的自衛権の行使を唱い、中東、アジアに強行日程で営業出張した。そこでは原発や武器の輸出取引まで話し合われたに違いない。そして、年末の特定秘密保護法案の強行可決。多くの国民が、この法案の怖さの本質も承知できないうちに「やってしまえ」式の強引さだった。寒空で国会議事堂をとり囲んでいた人々の声が、一瞬静まりかえった。「お前、そこまでやるのかよ」。これほど国民が舐められたことがあっただろうか。見方によっては安保以来というデモ隊を前にして、蛙のしょんべん然とした面構えだった。あの晩、蕎麦屋で呑んでいたのだが、国会をとり囲む人びとの叫びを聞きながら、ぬくぬく呑んでる自分に少し後ろめたさを感じたが、それは焼酎と一緒に飲み込んでしまった。 12月26日。事務所は靖国神社のすぐ側だというのに、安倍首相がモーニング姿で神社に参拝したことを、その夜のニュースを聞くまで迂闊にも知らずにいた。政権一年を無事過ごせたことへの感謝だという。翌朝新聞で見た話だが、ネット上には「いいね」が溢れたという。パソコンを開いてみたら、あるある。「日本国万歳! 安倍大宰相万歳!」「国民を代表し、国の指導者としての責任を果たした」「7年半の重荷をとっ払ってくれた」「反対する奴がいたら、もう一回参拝したれ」。もちろん参拝反対も同じほどあるが、(贔屓目か)こちらの方が言語に説得性がある。2日後の28日時点でのヤフーの意識調査は、「この参拝は妥当と思うか」と問いかけ、34万人の回答者のうち28万人近く(約八割)が「妥当」と答えたと報じた。ある投票者は、御巣鷹山の飛行機事故や災害で亡くなった人が出たとき、そこに慰霊碑をたてるだろう、靖国も戦争の慰霊碑なんだ、それにお参りして何が悪いか、と絡んでいる。そういう理屈になるのだろうか。ヒットラーやスターリンにも正の部分はあるだろうが、あんな虐殺者の墓にお参りするのが「妥当」だろうか。家族や末裔ならいざ知らず、貴殿は国の元首なんだ。
 アメリカのやることにも不可思議なところはあるが、そのアメリカさえもが「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動をとったことに、米国政府は失望している」と即座に声明を出した。その他多くの国が失望ないし不快を表明している。とにかく、去年は安倍がらみで国中が引っ掻き回された年だった。それに比べたら猪瀬都知事のコソコソ退陣など、とっても可愛く見えた。
 今年! また屠蘇を呑みながら明けたけど、十分仕事し、快不快にはすかさず発言し、満足のいく敗北の年にしたいと思う。われわれは何としても生き抜く。一人でもいい、哀愁の仲間がいる限り。
▼次は内輪の回顧。社業では58点の新刊書を拵えました。総頁数17、932頁、定価合計250,200円。これと云って売れたものもなく、さりとて極端に興行成績の悪い役者もいなかった。新聞を賑わしたものは色川大吉さんの『近代の光と闇』、それから根津朝彦さんの『戦後「中央公論」と「風流夢譚」事件』。さらに松岡將さんの『松岡二十世とその時代』でした。色川さんは小社にとっては最も名の知れた世界的歴史学者。ひとつふたつの新聞書評などではピクリともしない人だが、われわれにとっては一般紙でとりあげられるなんてめったにないことなので、年初から気をよくした。売れ行きは好調な滑り出しだったので、「忽ち増刷り!」と広告の文面まで用意していたのだが、現代社会は辛口の評点を下した。根津さんの本は所謂研究書だ。日頃の臆病さが初版部数を抑えることにつながり、たちまち増刷する羽目になった。当の根津さんはそんなことには頓着しない。ご自分のブログに書評してくれた紙誌を列記している。「朝日」「神奈川」「毎日」「京都」「読売」……大寺萌音さん、小谷野敦さんのカスタマーレビューも紹介されていて、根津さんが褒められても貶されても、これからの研究に動じない姿が伝わってくる。話のできる出版社で本が出せたと言ってくれるので、売れたこと以上にうれしい。松岡さんの労作もあちこちでとりあげられ、著者と出版社を一喜一憂させた。エンゲルスの「ドイツ農民戦争」を初邦訳した二十世。小林多喜二の「不在地主」に二十世の書いたビラが引用されていることや「転形期の人々」に出てくる青年のモデルなど、もう誰も話題にしない。だが、富良野、月形小作争議を指導し、治安維持法違反で網走監獄にぶち込まれ、人生がねじまげられてもクニと百姓のことを思いつつシベリアに死んでいった一人のインテリゲンチャの一生は壮絶である。父に「あなたの一生は何だったのか」と問いかけた元高級官僚は、本書の上梓で何が癒されたのだろうか。まだ、聞いていない。 (吟)