• TOP
  • PR誌『評論』
  • PR誌『評論』194号:ポスト・ケインズ派経済学の新しい地平 ──『金融危機の理論と現実』刊行に寄せて

ポスト・ケインズ派経済学の新しい地平 ──『金融危機の理論と現実』刊行に寄せて

横川 信治

ヤン・クレーゲルは、日本では初期の『政治経済学の再構築――ポスト・ケインズ派経済学入門』(1978年、日本経済評論社)で、ポスト・ケインズ派のアプローチにもとづく経済理論の研究によって知られているが、その後のミンスキーの金融不安定性仮説の発展・拡張を中心とする研究は、一部の金融論の専門家を除いてあまり知られていない。筆者は2001年のミンスキー学会、2003年のICAPE国際学会での彼の基調報告でポスト・ケインズ派やラディカル派における彼の影響力の強さを実感し、その後2009年に精華大学でのIDEAS国際学会で親しく議論をする機会を得た。クレーゲルはこの時点ですでにケインズとミンスキーの伝統にそって、彼らの創造的な洞察力を、国際的次元、発展途上国、証券化・金融自由化について拡張し、アジア通貨危機とサブプライム危機を分析する視点を確立していた。クレーゲルの膨大な業績から、そのエッセンスを知ることができる最も重要な論文を集めて、論文集を発表することを提案し、彼の積極的な賛同を得た。
ミンスキーの金融不安定性仮説は、ほぼすべての事業資産が借り入れによって所有される現代の資本主義を対象に、銀行と企業のバランスシートの分析から始まる。ミンスキーによれば持続的な経済的安定性は、資産の運用によって得られる貨幣収入と負債の元利返済に必要な貨幣支出の「安全性のゆとり幅」を内生的に減少させ、「安全性のゆとり幅」が常に十分であるヘッジ金融から、一時的に不十分である投機的金融、さらには正味現在価値が負になる「ポンツィ」金融へと、金融構造を脆弱化させる。クレーゲルは、一国の経常収支を企業のバランスシートに代替することによって、この枠組みを国際金融に適用する。
クレーゲルは現在の恐慌を次のように分析する。雇用を増大させるために資本輸出を利用する二つの方法がある。第一は対外借入によって雇用を増大する方法であり、第二は輸出による雇用の増加を下支えするために経常収支赤字国へ資本輸出する方法である。アジア諸国は、アジア通貨危機までは第一の方法をとり、資本輸入を通じて工業化を進め、輸出の増大を通じて、一時的には経常収支が赤字になるが最終的には元利返済が可能な投機的金融を実現していた。アジアの為替レートがドルに対して長い間安定的であり続けたので、国内外の借り手と貸し手はともに安全性のゆとり幅を縮小し、さらに一九九五年以降はデリバティブ契約による短期資本の流入が増大し、ポンツィ金融に変化した。一九九七年に国際資本市場が融資をやめた段階で資本の逆流が起こり金融危機に陥った。アジア通貨危機後は、通貨危機から自衛するために第二の方法がとられ、アメリカが主要な債務国としてポンツィ金融に陥ることになった。基軸通貨国のアメリカでは、経常収支赤字の拡大すなわち国際的不均衡の拡大が無制限に可能であった。アメリカの国内的要因でサブプライム危機が発生すると、ポンツィ金融に陥っていた諸国は資本の逆流による資産価値の低下を通じて、経常収支黒字のヘッジ金融諸国は輸出の減少を通じて危機に陥った。
以上のような恐慌分析から、次のような政策提言が引き出される。現在の国際金融体制は、一方で経常収支黒字のヘッジ金融国が存在するためには他方でポンツィ金融国が存在せざるを得ない非常に不安定な体制である。すべての国が雇用拡大のために投機的金融を行えるような国際通貨体制であれば、すべての国で雇用を確保することができ、また国際通貨体制としても安定している。これを可能にするためには、ブレトンウッズ会議でケインズが主張した国際清算同盟のような世界中央銀行が国際決済機構として機能し、また投機的金融で一時的に資金が不足する国があれば資金を供給すればよい。アジア通貨危機は、IMFの融資条件によって負債デフレーションを引き起こし、アジア各国で深刻な産業恐慌に発展した。1930年代以来、恐慌後の負債デフレーションに対する政策はフィッシャーやシカゴ学派のマネーサプライの増大が主流であったが、負債デフレーション危機を食い止めるというミンスキーの観点からは十分ではない。ケインズ型の財政政策を通じて家計の所得と企業の利潤を増大させ、銀行と家計によって保持されている損失を相殺し、バランスシートを直接的に改善する必要がある。
本書は、経済・金融問題に関心をもつ研究者・大学院生・学部生だけではなく、特に多くの社会人に読んでいただきたいと望んでいる。
[よこかわ のぶはる/武蔵大学教授]