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  • PR誌『評論』193号:『「戦後」と安保の六十年』刊行にあたって

『「戦後」と安保の六十年』刊行にあたって

植村 秀樹

このたび、同時代史叢書の最初の一冊として『「戦後」と安保の六十年』の刊行にこぎつけた。出版までの経緯は以下のようなものである。
2002年に発足した同時代史学会は、2008年に念願であった会誌『同時代史研究』を発刊し、次の課題として叢書の刊行の検討を開始した。そもそも同時代史学会は、設立趣意書にもあるとおり、「専門分野を横断する総合的な同時代史の創造」を目指すとともに、「専門性を尊重しつつも市民に向けて開かれ」た学会として発足した。このうちの前者のアカデミックな性格の部分は、主として研究会や大会のほか、会誌もその役目を果たすべきものである。後者の専門家と市民の対話と交流を目指す本学会の姿勢を示すためにも、専門研究者と市民との架け橋の役割を果たす叢書の刊行を目指すことになった。
会誌を発行している日本経済評論社とも随時相談しながら、検討をすすめてきたが、最終的には、同社が刊行する同時代史叢書に学会が協力するというかたちに落ち着いた。そして、このたびその最初の一冊の出版となったわけである。というわけで、あくまで日本経済評論社の出版事業としての刊行となるが、同時代史学会は、これからもこの叢書に積極的に協力していくことになる。
さて、拙著についてであるが、十年余り前に自衛隊を軸に戦後史を概観する本を出した(『自衛隊は誰のものか』講談社現代新書、2002年)時から、日米安保についてもいつか書きたいと思っていた。より正確にいえば、書くべきことがあると考えていた。
執筆にあたってヒントを与えてくれたのが、本書でも紹介した吉永小百合さんの「第二楽章」という言葉である。吉永さんは、二度と戦争をしてはならない、いつまでも「戦後」であり続けてほしいという願いを込めて、原爆や戦争にまつわる詩の朗読CDを出してきた。その題名が「第二楽章」である。原爆詩という第一楽章の主題をなす旋律を奏でながら、第二楽章への思いを馳せてきたのだろう。
第二楽章が必要だというのならば、私たちは、そのために何をしなければならないのか。第一楽章の主題を繰り返すだけでは第二楽章を奏でることはできない。第一楽章を総括しなければならない。第一楽章の時代を振り返って、過去に置いてくるものは何か、次の時代に受け継いでいくべきものは何かを整理すべきだと私は考えた。
日米安保と自衛隊を軸とした戦後史を語りながら、若い世代に伝えるべきものは何か、ということを念頭に置いていた。そうして書き進めたのがこの本である。校正を終えたところで、新聞の論壇時評に次のような表現を見つけた。書いたのは作家の高橋源一郎さんである(『朝日新聞』2013年8月29日)。
戦争が「被害を受けた人たちが語る、苦しみの物語」であるなら、それはどんなに悲惨であっても、後からやって来る、そのことを経験しなかった人たちにとっては「他人の物語」にすぎない。
このような戦争体験について、高橋は問う。「では、どうやって伝えるのか。いや、そもそも、それは伝えるべきことなのか」と。そして、次のように言う。
「戦後」という時代は、「戦争の体験」を持つ人たちが作り出した。だとするなら、その後に来るのは、受け売りの「戦争の体験」ではなく、自分の、かけがえのない「平和の体験」を持つ人たちが作る時代であるべきだ、という考え方に、ぼくは深く共感する。
私も同意する。体験に依拠するだけでは、いずれ「戦争には反対です。ひいおじいちゃんの遺言だから」という日が来る。これでは説得力を持たない。平和と豊かさの中で生まれ、育った今の若い人たちが、自分の実感を伴った論理と決断によるのでなければ、戦争も他国の武力行使への加担も止めることはできない。安倍政権とその取り巻きの学者が準備している集団的自衛権の行使には、徴兵も空襲もない。その意味で、第一楽章の体験は無力である。
しかし、第一楽章の記録は必要だ。そこから学ぶべきものも多い。吉永さんの朗読CDは、残すべき遺産を未来につなげる仕事である。これらの貴重な仕事を真摯に受け止めながらも、若い世代に松明を引き継ぐために、私たちがしなければならないことがある。現在を未来につなげるために過去を見据えること。同時代史研究とは、そういうものだと思う。
[うえむら ひでき/流通経済大学]