神保町の窓から(抄)

▼去る5月13日付で、法律・経済書専門取次「明文図書」から「自主廃業の通知」が届けられた。しばらく前から小さな噂は出ていた。譲渡か、合併か、倒産か……等々。異例の「今後の事業方針について」と題した決意の文書も見た。風評対策だな。われわれにも体験がある。落ち目のときは、いろいろやることに思いつき、何をやってもうまくいくように思えるのだが、実は何をやってもうまくいかないものなのだ。だから、と言っては済まないが、「自主廃業」の決断にはなぜか連帯できた。経済書も、実務書も売れてない。わが社をみれば自明だ。見栄を張り続けても傷を深めるだけだ。なにがしかの余力のあるうちの廃業は賢明な選択だと思う。瀕死になってしまったら、版元への精算もままならず、したがってそれは負い目となり、神田村を朗らかに歩くこともできなくなってしまう。
 資本主義社会というのは、儲けた奴が紳士で、損したり赤字続きの会社の社長は劣等生とされるいや~な社会だが、それでも最近では少し変化したのだろうか。この神田村でも、「アコギ」な奴は白い眼で見られるようになった。労働者を低賃金で追い回している社長や労務、経営について隠し事をする会社、そんなのはまず女子社員に嫌われる。明文図書にはそんな風潮はみられなかった。
 明文図書は、その誕生を大正時代にまで遡ることが出来る、神田村取次の老舗である。先代も先々代も、まるで古武士のように、社会科学に照準を定め、小取次の風格を守ってきた。わが社も創業して間もなく取引を始めた。誰も覚えていないだろうが、橋本部長や、横山さん、山口さんや河村さんなどの名前が思い出される。みんな青年だった。商いはトーハン、日販に次いで結構な額があった。八〇年代初頭の、わが社絶命寸前にしてくれた対応は忘れられない。金の支援はなかったが、毎晩のようにヤキ鳥や三幸園の餃子を振る舞ってくれ、私を元気づけてくれたのだ。思いだすと胸がジンとなる。
 5月17日、廃業の説明会。神田の日本教育会館の大講堂には数百人が集った。社長は「余力のあるうちに自主廃業する」と切りだした。普段のニコニコ顔が少しうつむき加減だ。「七月を目途に全取引先と円満に精算を終えたい」と説明する。社長の声は、脅しでもなく、泣きでもなく、まさに真摯な意思表示であると受け取れた。
 一通りの説明のあと、何か質問はないかと社長。A出版の営業マン、威勢よく手をあげた。やり手の営業マンらしい。「(説明書もなく)ただ7月に精算すると言っても、信用する何もない。どうしてくれるか」 社長「今は、どうするつもりと、それを理解していただくお願いしかできません。信じていただきたいのは、私の言葉です」 A「なんだそれっ、会社に帰って何と説明すればいいんだ」。甘ったれてはいけない。そんなこと自分でかんがえろ、私は耳をふさぎたくなった。今まで大した取引があったであろうことが予測出来るその版元が、苦渋の決断、自主廃業を発表する、ずぶ濡れの社長にあびせる言葉だろうか。
 ここにも資本主義の法則が流れている。敗けそうな奴に追い打ちをかけて息の根を止めてしまう群狼の姿である。これに似たことは、2001年暮、人文書専門取次鈴木書店の倒産のときにもあった。今まで世話になってきたことをたちまち忘れて、落ち目、弱目を足蹴にするケチな野郎たちの本性である。この小誌が出来るころ、8月、明文図書は一銭の踏み倒しもなく、各版元とも美しく精算をすませているはずだ。42年間にわたる歴史的取引、明文のみなさん、ありがとうございました。心から御礼申し上げます。
▼6月23日の沖縄戦没者追悼式典の中継をじっと見つめていた。仲井眞県知事と安部首相のおことばには温度差と距離がある。これは安保条約があるかぎりちぢまるまい。講和何年、復帰何年、安保何年と周年を数えてみても、あまり意味のあることではない。みんな敗戦とその後の条件が決められた経緯を承知していない。戦争を知らない世代がほとんどになった。「もうあやまちはくりかえしません」と本気か正気で言える人はどれだけいるだろうか。戦争の体験者ならまず言っていい。だが、戦後生まれが言うとき何が大事だろう。戦争を語り継ぐ、それはいい。だが、昔話を語り継ぐのとは訳がちがう。「あの戦争は間違っていたね」「あの戦争は天皇と軍隊がやったのだよ」「私たちはだまされていたんだよ」「戦争はしてはいけないよ」これらのことは言ったり語り合ったりしてもいいが、そこに自分という「個」がいない。他人事なんだ。「戦争をやったのはオレの親父たちだ」という親近感も薄らいだ。戦争は遠い昔のお話になり、浅間山荘もオウム事件も知らない子がいる。追悼式典で小学一年生の安里クンが「へいわってすてきだね」と自作の詩を披露していたが、そこに謳われていたのは、何の変轍もない日常がつづくことの大切さだった。それに気づき作詞した安里クンが一番いい演説者になっていた。 (吟)