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  • PR誌『評論』172号:『市場社会論のケンブリッジ的世界』—共有性と多様性

『市場社会論のケンブリッジ的世界』—共有性と多様性

平井俊顕

本書は、19世紀後半から20世紀前半にかけてケンブリッジで展開された(これまで本格的に研究されたことのない)「市場社会論」に包括的検討を加えることで、その連続性(受容)・その断絶性(対立)、つまりはその共有性と多様性を読者諸賢に提示することを主要な目的としている。そのことを通じ、巷間のみならず経済学界に蔓延している「経済思想」にまつわる偏見と誤謬を是正すること、ならびに市場社会の今日的状況を捉えるうえで不可欠な知的ベースを提供すること、これがわたし達の狙いである。ケインズの言を借りれば、「人間精神の解放にとって必須の準備作業」を試みようとするものである。
18世紀から今日に至るまで、世界はイギリスが産業革命によって達成した市場社会システムを追跡・拡大してきたといえる。市場社会を特徴づけるのは、何よりもその動態性にある。市場社会は成長を本質とするダイナミックな社会システムである。それは二重の意味で動態的だ。一方で、市場社会は、分業の進展と競争を通じて、そしてそれらが誘発する技術革新を通じて、生産の増大・成長をもたらす。他方で、社会の市場化は、既存の社会システム・制度(それは伝統社会であったり、既存の産業であったりする)を浸食・破壊していく。
それのみではない。それは新たな市場社会の構築に当たって、「市場の論理」、「利潤獲得原理」につき動かされて、階級的な差別化、貧富の格差拡大をももたらしてきた。
だが、市場社会化の過程にあって、人々がそのなすがままに身を委ねた、というのは誇張であろう。実際、イギリスにあっても、当初の自然発生的な産業革命のもたらす社会的悪弊は、徐々にではあるがさまざまのセーフティ・ネットの案出により、それが除去されることで、いわばマイルドな資本主義が指向されることになった。市場化を成功裏に行うには、そして社会不安を軽減するには、その爆発的エネルギーをある程度緩和し、コントロールすることが必須なのである。それが歴史の教訓である。
世界経済をいくども襲ってきた近年の金融危機、そして今回のサブプライム・ローンに端を発したアメリカ発の世界的経済危機は、「ネオ・リベラリズム」的運動のもつ危うさと問題性を露呈させることになった。資本の極端な短期移動が自由化され、そして計り知れない種類の「証券化商品」が「金融工学」の勝利の名のもとで暴走するなか、その先陣を切っていたメガ・バンクが完膚なきまでにつまずいている。自己責任システムを誇張してきた当の経営トップが政府に援助を求めながら(各国政府は金融システムの重要性に鑑み、未曾有の資本援助を行っている)、同時に巨額のボーナスを受け取っていたという事態が、つい先日報じられた。審査機能の麻痺で貸し付けられた巨額の債権は当然のごとく紙切れとなり、世界の実体経済を未曾有の不況に追い込んでいる。市場原理主義(「市場に任せればいい」という主張、自己責任の強調)の自己破綻が現前している。
本書で探究しているケンブリッジの経済学者は、多かれ少なかれ、「ニュー・リベラリズム」的思想のもち主であり、経済の安定、失業対策、所得の不平等などの問題にたいし、政府の積極的な関与、弱者救済の必要性を唱道するスタンスに立っている。彼らはいずれも自由放任主義は市場社会の状況改善に役立つものではないとの認識を共有し、そこにおいて政府が果たすべき役割を強調している。ネオ・リベラリズムといういきすぎたレッセ・フェールがわれわれに大きな代価を支払わせている現在、彼らの主張に耳を傾けるべきときではないだろうか。
本書は次のような構成になっている。第Ⅰ部「体系的構想と学的闘い」(シジウィック、マーシャル、フォクスウェル、カニンガム)、第Ⅱ部「資本主義と国際システム」(ピグー、ホートリー、ケインズ)、第Ⅲ部「産業と二大階級」(マグレガー、ロバートソン、レイトン、ラヴィントン)、第Ⅳ部「影響と対抗」(ムーア、ドッブ、スラッファ、ロビンズ、制度派)、そして最後にケンブリッジの市場社会論の展望的描写が配置されている。
                                                                  [ひらい としあき/上智大学経済学部教授]