神保町の窓から(抄)

▼昨年暮れに行われた総選挙は、躍進というのかどうか知らないが、自民党の圧勝だった。開票速報が始まって5分も経たないのに、どのTV局も「自民完勝、民主惨敗」を報じていた。つまらん、スイッチを切って歌謡曲を聴こうとしたが、どこもやってない。
 われわれは、本当に原発再稼働を許し、消費増税を認め、憲法改正や自衛隊の国防軍化に賛成し、それを許したのだろうか。昨日まで「ギクシャクした政党だが、民主党を解党させ、自民党に政権を戻してはならない」と話していた隣人はどこへ行ってしまったのか。いくらなんでも、いくら一時の気分とは云え、ここまで自民を支持する「国民」が多いことに唖然とした。この結果は小選挙区制だけの問題ではない。
 翌朝出勤し、社員の顔色を窺う。誰一人先週と変わったところはない。平然とお茶の支度をし、無邪気にパソコンの電源を入れ、迷惑メールを削除している。選挙のセの字も口にしない。夜、行きつけの飲み屋に行った。顔見知りに何気なく昨日の選挙のことに水を引いた。常連の初老だ。自民の勝利に機嫌がいい。「やっぱり、政権は慣れているところがとった方が安心だ」「自民党は民主党とは役者が違う」......。あんた自民に入れたナ。近所の大学に勤める女子職員、推定四五歳。彼女も「もちろん自民ヨッ」と明快に答えた。彼女の声が高かったので、店にいたノンポリどもがいっせいに「これから景気はよくなるだろう」と呼応した。私へのあてこすりもあるだろうが、ここにいたコクミンは大半が自民派に見え、自民のどんぶりの中で溺れそうになった。ここは飲み屋だ、論争の場ではない。「頭冷やせ」とも「鈍兵衛!」とも叫ばなかったが、ここにある現実には驚嘆しながらも、受け入れざるを得なかった。
 安倍首相は何年か前「美しい日本」で登場し、今度は「新しい日本」で帆をあげた。そのどこが違うか違わぬかはすぐにも判明するだろうが、どちらにしても、公明党と手を組み、論旨明確な「維新の会」などを巻き込みながら、かつての永久政権の夢を見つづけるだろう。自民に任せろ、されば腹など減らさない、と。だが、かつての高度成長時代は戻りはしない。われわれは飯や酒肴、快楽に憧れ、それを取引の道具にされ大事なものを失った歴史を忘れてはなるまい。
 目にみえるもの、職があって飯が食えて、ふところも温かくなる。それを獲得することは悪ではないが、それと引き替えに、目にみえないもの、平和や安心や、さらに協同や愛を生活の中から失っていくことは、もっと悲惨なことではないのか。ファシズムは街宣車に乗って軍艦マーチを歌いながらやってくるわけではない。われわれは、蜜にくるまれた「新しい日本」とか「とりもどした日本」という闇のスローガンの中に何が隠されているかを見破ることができるだろうか。われわれの星取表は無惨だ。百戦九十九敗の悔しさを知る者のみが、いつの日かの勝利の手立てを知っているのだ、と信じたい。
▼「オレはこれこれの方針でいく。これに反対する者、従いて来られない者はやめろ」とは、正月の箱根駅伝競走で優勝した日本体育大学の駅伝監督の言である。どういう方針かはさておき、この監督のやり方で一年間みっちり練習を重ね、優勝を勝ち取った。これはすごいことだ、と感嘆しつつも、とても云えるセリフでないことも思った。正月、どこにも行かずこの駅伝のスタートからゴールまで寸分逃さず観た。もちろん飲みながらだったので、往路も復路もそれぞれ一升瓶が空になった。それはどうでもいいことだが、今どき「オレに従いて来られない者はやめろ」と言い切れる大将はいるだろうか。種目は違うが、出版の世界でそんなことを言い切っている社長や編集長に接近遭遇することはめったにない。「オレに従いてこい」という不遜が通る時代でもないが、逆に言えばそんな啖呵をきれる過信頭目がいなくなったということだ。何も民主主義を学んだからそうなったのではなく、企画の一つを決定するのにも「絶対」などということはないことを知ったからにすぎない。日体大の監督は傑物だが、彼を見本にしてのこのこ従いていってはあぶない。
▼年賀状をたくさんいただきました。去年をふりかえって「昨年は小社にとって明るい兆しの見えた年でした」という明るい文章で始まる賀状があった。長い間無罪を訴え続けた人が無罪を勝ち取ったこと、関係する著者のドキュメンタリー映画が公開されたことなどを紹介し、「何事も継続と蓄積が肝要だと実感した」という〆で終わっている。差出人の生真面目そうな顔を思いだし、うれしくなった。もう一通。「鬼が出るか、蛇がでるか、鎮守の沼にも蛇は棲む。鱣は蛇に似たり、まさに蛇に睨まれた蛙......藪をつついて蛇を出すことも敢えて辞さず、蛇の道は蛇の出版活動をつづけて行く......」なんだかよくわからない文面だが、とにかく本をだして生きて行くぞという気概は伝わってきた。初めて見る文字もあり最後まで読んでしまった(鱣=うみへび)。 (吟)