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『神保町の窓から』刊行に寄せて・ 天の配剤

中嶋 廣

日本の出版業界は、1997年の売り上げ2兆6千億円をピークに、以後右肩下がりで落ち続け、2012年は1兆8千億円を切ったのではないかと言われている。
そういう出版界瀕死の折りに、『神保町の窓から』(影書房)はまさに現われるべくして現われた、「天の配剤」とも言うべき書物である。ただし、著者の栗原哲也さんが問題にするのは、売り上げ減が止まらなかったり、書店がここ10年ほどで1万軒以上消滅したといった、うわべの症状ではない。出版界の「瀕死」問題の核心は、価値のある新刊本が極端に少なくなったことなのだ。
著者は言う。「「出版の危機」と言われつづけているが、危機とは儲からないことを愚痴っているのではないか。本当の危機はちがうところにある」。このあたりまえと見える言辞を吐ける出版人が、じつはきわめて少ない。
あるいはまた、本を出すたびに決まって書かれる文言がある。「この出版事情の厳しいおりに、採算のとりにくい専門的な本を出してくれて......」、それに対しても著者は言う。これはお定まりの謝辞で、「30年前のあとがきにも、つい先だっての前書きにも書かれている」。つまりいつだって、まともな出版は苦境なのだ。
そのイバラの道を40年以上、押し寄せる大過の山を踏み越えて、ぶれることなく歩んで来た記録なのだから、私のような超零細出版社の経営者にとっては、まさしくお守りのような本である。
しかしこの本は、出版関係者だけでなく、誰が読んでも巻措くあたわざる面白さを感じるのではないか。1970年の創業以来、はじめの5年間は他社の下請けなどで凌ぎ、次の5年間はたくさんの人を採用して全国的な販売を展開するも挫折、その結果重い負債を背負いながら、11年目からは全社員5人で再出発。その後も倉庫が火事で在庫が消失するなど、押し寄せる困難の数々を乗り越え、今日まで出版を持続してきたという波乱万丈の物語は、だれが読んでも強く胸を打つ。何より強烈なのは叙述の率直さ、あまりの正直さで、それが本書のアクの強さというか、圧倒的な魅力となっている。
ただ全体を読み通したとき、不思議な思いも残る。何よりも、経済を専門とする出版社社長のエッセイでありながら、その内容がきわめて反経済的ななのだ。
そもそも帯の文句からしてすごい。
「出版は資本主義には似合わない」
本を作るということは、著者の先生をはじめ関わった人々と、魂の交流をすることであり、それがなければ、価値ある書物を出版することはできない、と著者は言う。人の魂までも数字に置き換えようとする資本主義は、出版にはふさわしくないのだ。卑近な言い方をすれば、昔も今も、ベストセラーはおおむねゴミばかりである。
しかしそれなら、良き出版を実現するためには、どういう経済体制を目指すべきなのか。ともかく資本主義ではだめなのだとしたら、どういう政治、どんな社会体制を目指せばよいのか。突きつめればこれは、ほとんど革命宣言ではないか。
実を言えば、私は経済学は全く分からない。どういう学問かだけでなく、何のためにそんなものがあるのかも、よくわからない。たとえば、昨年の総選挙の結果、再び自民党内閣が成立し、その首相が、経済成長をめざしインフレ目標を定めるという。要は昔のバラマキであるが、私などには正気の沙汰とは思えない。 
資源のみならず、この世界は有限なのだから、できる限りクールダウンして、余計な活動はせず、最小限のものを作り、極力消費を減らし、じっと静かに考えるか、本を読んで暮らすのが、人間らしい生活だと思うが、政治家はそうは考えない。それを選ぶ国民の多数もそうは考えない。人は放っておいても壊れた本能によって無駄に浪費するものなのに、それを国家目標を定めて奨励するという。これは、何かよほど悪いもの、正体不明の邪悪なものに、集団で洗脳されているとしか思えない。
だからもし本当に、出版に資本主義が似合わないなら、ぜひとも、そうではない経済制度、そうではない政治体制を摸索する書物を出版していただきたい。
それを強く願っています。
 [なかじま ひろし/トランスビュー代表取締役]