神保町の窓から(抄)

▼人との出会いは意図してできるものではない。小学校の同級生も、大学の友人も、会社の同僚や上司だって、選ぶことは難しい。そこに居あわせたからこそ、出会えたのだ。出会いとは、単に顔見知りになることではない。ともに仕事をし、心を通わせ、感動を共有するところにまで高められて、初めて関係は成立する。「あの時、あなたに会いさえしなければ……」とか「あなたがその時居合わせたから」と、喜びや幸せにつながること、あるいは、悪い運命に連続することも、必ず私に影響を与えたあなた(他者)がいて「出会い」となる。日頃の会話のなかで、「あの時お前に会わなけりゃ」につづくのは何だろう。「所帯はもたなかったろうに」か。これは否定的だ。別の言い方もある。「あの時あなたに会えたので」、これには感謝の言葉がつづくはずだ。今、自分を取り巻く人、自分がとりかこんでいる人について考えてみる。離ればなれになっても疎遠にはならないだろうか。それでも一緒に仕事をしたいと思い続けるだろうか。人の心は弱く、怠惰でもある。出会うということは、ずっと一緒にいたいということだ。遠隔地恋愛がお二人の、涙ぐましい努力がなければ成就するのは難しいことに似て、出会うことはできても、それを持続させるのは難儀である。出会えば必ず別れがある。過去のよかったことや、喜びはみんなあなたのお陰としよう。そして悲しかったことや失敗は、自分の至らなさと観念しよう。
▼2005年の夏、Y子を見た。小社の編集部員募集に応じてきたのだった。面接用に借りた信用組合の応接室で、待ち受けていたわれわれの前に、真っ黒なスーツのY子が現れた。たくさんの応募者全員に面接した。優秀な若者たちのなか、Y子を一等賞で採用した。七月初めより出社。老舗H社で働いていたので、即日、戦力として隊列に加えた。びっくりしたのは、初めての編集会議で、臆目もなく企画の提案があったことだった。H社時代から考えてきたことに違いない。「戦後の思想空間を再考する」というシリーズである。今まで、われわれの編集会議では、一ぺんも出たことのない名前が飛び出してきた。竹内好、前田愛、谷川雁、橋川文三……。おいおい、ここをどんな出版社と心得るか、とは言わなかった。われわれは戸惑ったが、たじろぎはしなかった。「こういうプランを実現させるには、外の著者よりも、ここにいる老編集者を口説くのが先だ。じっくりやりな」と誰かが応じて、座を鎮めた。Y子は目をパチつかせたが、安堵したようだった。閑かにだったが、彼女はそれを進行させた。何ヶ月か経って、勤めたこの会社が貧しいことに気がついた。住み心地をよくしようと、営業的な提案が出てきた。ホームページ上の情報が雑である、新刊刊行時の対応がのろい、DMも気まぐれっぽい……。よくおっしゃるね。先にいた者まで、そうだそうだなんて呼応するではないか。何人かは少し白い目をして聞いていた。担当した本が上がってきた。Y子の担当したものは、不思議と売れる。三ヶ月の内に三度も重版したものもあった。定価も安くないものだ。縁起を連れてくる編集者が来たかと思った。
 また一年が経った。今度はフレックスタイムの要求である。彼女はキャリアを自認する。会社に管理されている労働時間を取り返し、自分で管理する時間の中で本を作ろうと企んだのである。本はそういう時間の中で作られた方がいいのかも知れない。本は強制されて作るものではない。コストやリスクも考えずに作られた方が、本は幸せだろう。あまりに、あまりに根元的な口振りに心が揺さぶられたが、この要求は、倍の弁舌を繰り出し、お断りした。凹むかと思ったら、何のことはない。翌朝もあっけらかんと遅刻してきた。
 入社早々提案していた「戦後思想」のうち、竹内好のセレクションがまとまってきた。大学と提携したシンポジウムを成功させ、小社にとっては珍品に属する本なので、世間も関心を寄せてくれ、評判もいいと思った。天は手ばなしで喜ぶことを許さない。ある熱心な読者の指摘する誤植話が肥大化して、作り直す羽目に追い込まれた。この事件は、Y子にも会社にも、多くの教訓を残した。仕事には検品が必要である。読者の目は節穴ではない。慣れないことは慎重にやれ。その反面、失敗してもいい、フォローするから思い切りやってみろという、先輩や上司の賭け心も大切であること。配本した本の回収や、作り直しは、願ってやれることではない。こんな奇妙なチャンスをくれたのもY子であった。10年20年もの同じ顔ぶれは、マンネリ化する。これをちょっと乱暴だったが破ってくれたのもY子だった。その彼女が、われわれの納得する理由により、海外に行くことになった。突然だが、退社を了解しました。おさわがせ、疾風怒濤、安井梨恵子は六月末で辞めます。ご指導くださった先生方、ありがとうございました。また、失礼がありましたらお赦し下さい。数ヶ月後、彼女の座っていた椅子には誰が座っているか。残った者は、また明日も本を作っています。