神保町の窓から(抄)

▼先ごろの自民党や民主党の党首決定戦は、国民的関心を集めたわけでもなく終わった。「この人じゃなければ、ダメだ」という本命もなく、納まるように納まったが、気になることを、またもや突きつけられた気がした。特に、自民党の候補たちが、口を揃えて憲法改正を口にしたことだ。少しおくれ、NHKが放映した『負けて、勝つ』。吉田茂元首相の、天皇制存続や憲法制定、旧安保条約をめぐるGHQとの駆け引きも、吉田の描き方が忠実であるかどうかは別にしても、「そういう心算だったのか」ということは理解できた。
 「日本国憲法」は1946年11月3日に公布され、半年後の翌年5月3日に施行されている。敗戦から1年ちょっとで、草案から確定憲法として躍り出たのだった。これをGHQからの押しつけ憲法というのは容易い。原案が英文で、一週間で作られた植民地的・屈辱的憲法だから、こんな憲法は改定しろというのが改憲論者の言い分である。俺たち自身で作っていない、と言うのだ。主権在民、基本的人権、恒久平和を柱とする日本国憲法がなぜ改定されなければならないのか。改憲勢力の主眼は「九条」の撤廃にある。あなた方は、「恒久平和」という人類の為しがたい理念を、画餅というか、実態に合わない空論と言いつのるのか。時代や社会が変化しても、この理念が古いとか用なしになったとは思えない。日本国憲法は何人が作ったにしても、「未来」を先どりしている類をみない、それどころか追い続けなければならない、人間の獣性を制約する世界最高の文学だと私は思う。
 憲法とは、いかなる法律か。単なる「法」ではない。そのすべての条文が、時の国家(政府)に対する命令書になっている。戦争放棄の条項はもとより、たとえば25条「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」、26条「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」......どうだ、国(政府)は憲法の命ずることの実行者でなければならない。唯一の立法機関である国会は「法律」を作って国民に命令してくるが、憲法は法律に優先する。憲法は必ず勝つ、最高の価値なのだ。この判定者が最高裁判所のはずだ。
 「恒久平和」ということは理想だし、観念かも知れない。並の努力では到達できない彼岸にある。くどいけどもう一度言う。平和や自由を追究することに、古いも、押しつけも、屈辱もあるものか。「憲法を変えて戦争に行こう」そんな呼びかけに、私は共鳴も同調もしない。戦争はすべてを奪う。そこには人びとを説得できる理由はない、正義もない。
▼10月、小誌小欄の短文をまとめて『神保町の窓から』なる本ができました。影書房の松本昌次さんと飲み屋で話しているうちに、あまりの熱心と優しさに上の空となり、ついそんな気になりました。校正する過程で常用漢字や正字体のことなど、普段あまり気にもしていないことをみっちり学びました。へえーっ、こんなふうに文学と対峙してきたのか、こんなふうに著者の原稿の一文字一文字を丁重に扱ってきたのか、と60年におよぶ編集者の一面を垣間見ました。
 親しくしてもらっている著者の方々、世話をかけている人びとの何人かに贈りました。「ときどき「抜き身」になるお前さんを読みとれる」とか、「『音高く流れぬ』が出ていましたが、当時の方は皆読んだのですね。新制高校になってから学んだ者にとっては懐かしく拝見しました」、「資本主義社会の世話になりながら、出版は資本主義には似合わないなんて逆恨みのようなことは言うな」というお叱りもありました。カバーデザインを請け負ってくださった渡辺美知子さんは「デザインには悩みましたよ。悩んだあげくひらめいたのは、甲斐大泉に住むすてきな画家の永田博子さんでした。イメージがこの本にぴったり合いそう。気に入ってくださったのでしょうね......」と心配そうな便り。ご安心下さい。たくさんの人から「絵がいい」と言われています。永田さん、ありがとうございました。
▼田舎で生き残っている姉ちゃんから、生きてるうちに兄弟姉妹全員集合で酒を飲もう、と誘いがあった。「生きてるうち」という理由が悲壮だが、生き残り6人の歳を合算したら479歳になった。ぼやぼやしている歳ではないことを観念し、その誘いにのることにした。死んだ親父やお袋のことか、それとも戦後すぐの腹の減ったことか。黙っていると話はすべて昔のことになる。最後になるかも知れないこの会議では、せめて平和や未来について議論してみたいと思う。 (吟)