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  • PR誌『評論』189号:新生活運動からみる戦後史の可能性(後)

新生活運動からみる戦後史の可能性(後)

満薗 勇

高度成長の時代における「生活」といえば、多くの人は自動車や家電製品に囲まれた暮らしのことをイメージするにちがいない。しかし、敗戦を契機に取り組まれ、1970年代に大きな困難に直面した新生活運動からみえてくるのは、「生活」がそれとは違った形で大きな問題となっていた戦後日本の姿である。
後編である本稿では、新生活運動が示した力強い二つのうねり(前期=1940年代後半~60年代半ば、後期=60年代半ば~70年代)のうち、二つ目のうねり(後期)をとりあげてその一端を紹介したい。
1960年代半ばの新生活運動は、高度成長に伴う急激な社会変動が表面化するなかで、「生活者」の「主体性」「人間性」をキーワードに、当座の生活防衛をめざす運動として再編された。その背後には、高度成長の影響が人間の疎外と社会の分裂という形で表れているとの認識があり、新しい社会の「連帯」を築いていくために、「対話」というアプローチを練り上げていった。
具体的には、消費生活に関わる問題を解決するために、「生活学校」というしくみが整えられた。そこでの「対話」には、企業・行政・消費者といった機能集団を対等な立場で向き合わせて、ともに問題解決をめざすための方法であるという含意が込められ、その合意可能性は、究極的にはあらゆる機能集団はみな「生活者」であるという一点に求められていた。
こうした構想とアプローチは、同時代の諸運動に比べても特徴的なものであった。多くの住民運動は、政府・行政・企業が大上段に進める開発に対して、「生活」をそれに抗うための拠り所として対置するとともに、「告発」や「異議申し立て」というアプローチをとっていた。また、近年、歴史研究のなかで再評価が進んだ生活クラブの運動は、企業主導でうみだされる商品の世界から距離をとって、自らのうちに「生活者」の世界というオルタナティブを構築しようとするものであり、そこでの「生活者」からは、既存の大企業はあらかじめ排除されていた。
これらに比べれば、新生活運動の特徴は、企業や行政を含めたより広い共同性の拠り所を「生活者」に求め、対立や対決でなく、合意形成への志向をより強く埋め込んだアプローチをとっていた点にあったといえる。
このように、新生活運動が社会統合への志向を強くもっていたことは、一見すると、保守系に連なる運動として当たり前のことのように思えるかもしれない。ところが、実際には、後期の新生活運動は、政治主体と密接な接点をもつことができなかった。このことは、近年明らかにされたように、生産性向上運動に連なる日本消費者協会が、「消費者」を経済成長というニューライトの大きな政治課題に包摂し得たことと対照的である(原山浩介『消費者の戦後史』日本経済評論社、2011年)。
さらに、1970年代に入ると、新生活運動の展開そのものが大きな困難に直面した。私生活主義的な傾向が強まっていくなかで、「生活」という領域がもっぱら「孤立した消費と趣味の世界」を指し示すものとなり、そこからコミュニティ形成や連帯の問題が引きはがされていったからである。
「生活」領域の分裂は、「生活」を足がかりとして人と人との関係性を改めることで、戦後日本にふさわしい「真の民主主義」を打ち立てようとした新生活運動の立脚点そのものを掘り崩すものであった。現在のわれわれが、「生活」という言葉から、まっ先に私生活主義的なイメージを抱くとしたら、そうした認識自体が高度成長による歴史的な所産なのだということを、きちんと自覚しておかなければなるまい。
以上のように、新生活運動が置かれた状況を丁寧に解きほぐしていくと、「生活」という領域には、戦後史を新たな視点で読み解くための手がかりが詰まっていることが浮き彫りとなる。今後の戦後史研究において、これらの手がかりを、さまざまな問題領域に即して対象化する試みが広がっていったならば、その先には、保革対立という軸だけではよくみえてこなかった、新たな戦後史像が姿を現わすはずである。本書の執筆を終えたメンバーは、そのように考えている。
 [みつぞの いさむ/日本学術振興会特別研究員]