• TOP
  • PR誌『評論』
  • PR誌『評論』188号:福島原発事故、足尾鉱毒事件、そして自由民権運動

福島原発事故、足尾鉱毒事件、そして自由民権運動

安在 邦夫

東電福島第一原発事故避難者の中から、5月末また一人の男性が自ら命を断った。62歳の自営業者で将来に絶望しての自殺である。その悲しみも癒えない中、原発事故犠牲者に再び悲劇が襲った。病院帰りの避難者を乗せた車が事故に遭い5人の死傷者が出たのである。原発事故被害の、なんという悲劇の連鎖であろうか。そのような折、野田首相は大飯原発再稼働を是とする会見を行った。「国民生活の安定」のためという。生業・故郷・未来を奪われ、家族・地域をずたずたに引き裂かれて呻吟する福島の原発事故被害者の実情を思う眼と心がいささかでもあれば、事故の調査・検証も終えないままで「原発再稼働」を決断することなどは到底考えられないことである。福島の被害民は文字通り「棄民」とされたのである。「首相会見」以後再稼働に至る一連のプロセスは、「脱原発をめざす首長会議」の指摘をまつまでもなく、まさに笑止千万、「結論ありきの茶番劇」であった。
東電福島原発事故被害は、紛うことなく人災であった。「安全神話」が崩壊し大きな代償を払うことを余儀なくされた中で明確になったことは、原子力発電をめぐる政・官・産・学界の癒着、事実の隠蔽や詭弁、原子力ムラの閉鎖性・独善性等々であり、原発推進関係者の自己保身・無責任体質である。原発事故発生以前に抱いていた私の「この国は何処へいこうとしているのか」との思いは、現在では「この国はどこまで堕ちていくのだろうか」という気持ちに変わっている。

絶望的なこの状況の中で、いやそれゆえに、歴史に灯りを見出そうという思考的営みが、今、強く求められている。このような折、私はその営為の一端を伝え、また公にする機会を得た。講演と書の刊行である。講演は今年に入り二度行う機会を得た。
その一つは3月10日福島県石川町における石陽社顕彰会(福島県最初の民権結社石陽社の活動の顕彰などを目的に2010年創設)主催の講演「自由民権運動から原発問題を考える」である。
同講演では、「自由民権の故郷 福島よ再び」(「風見鶏」、『日本経済新聞』2012年1月8日)、「復興エネルギー農村から」(「時の回廊」『朝日新聞』2012年2月28日・夕)など自由民権運動に触れた福島県復興へのエール、浪江の民権家苅宿仲衛の活動の事績を、主として自由・地方自治の視点より報じたNHK1月15日放送「自由民権 東北で始まる」(Eテレ、PM10時~11時30分)に言及しつつ、第一に、原発ファシズム(原子力ムラの言論風圧)や原発マネーの圧力・威力に翻弄された福島県(民)の状況について、第二に、国民の権利を希求し運動に邁進した民権家の高い志・情熱と行動を、石川町の民権家吉田光一の活動などを例に、第三に、民意反映の政治を「国会開設」に託し奔走した先人の夢と現今国会の乖離について、思うところを述べた。そして国家・東電の責任を、国民・住民の権利として問い続けることの重要性を、歴史の教訓として強く説いた。

第二は、「足尾鉱毒被害民と田中正造──鉱毒被害民への正造の眼差しと運動組織化への思い──」と題し、5月20日館林市において行った講演である(主催NPO法人足尾鉱毒事件田中正造記念館)。原発事故以後、田中正造の事績が改めて振り返られており、特に「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし」(「日記」1912年6月17日)の語は、現況を鋭く射る文言として注目されている。また現在、地元佐野周辺では「田中正造没後130年」を来年に控え、関係研究会や団体・自治体が記念事業の企画に燃えている。
このような雰囲気の中で、私は前掲の題を掲げ、時期的には、鉱毒被害が顕在化・社会問題化した明治20年代初頭から川俣事件(1900年)までを、内容的には、鉱毒被害民の存在を田中はどのように認識し、組織化しようと考えたのか、またその担い手として重視したのは如何なる人びとであったのか、さらには「押出し」という行為をどのように捉え対応したか、等々に視点を当てて論じた。それは、原発被害が地域的に拡大し時間的に長期化すればするほど被害地・被害民の間で分断・対立が生まれているという現況を意識してのことである。原発被害者と鉱毒被害者の状況には驚くほどの類似性・共通性が見られる。本講演では、被害民が団結することの重要性を説き、自らそのために尽力・奔走した田中の役割・功績に留意し論じた。

東電福島第一原発事故は、自由・人権や生存権・請求権、あるいは自治権など、優れて近代的な価値、国家のあり方・政策に関わる問題を内包している。したがって、問題の本質的解明の手掛かりは、近代化の初発時の様態を歴史的に分析・検討することによって得られるという思いを、私は抱いている。具体的に記せば自由民権運動史の検証である。そしてこのたびそのささやかな実践として、『自由民権運動史への招待』(吉田書店、2012年5月)を公にした。書の刊行と先に記したのがこれである。
本書では、「いま、自由民権運動史を学ぶとき」を序文とし、自由民権運動史を学ぶことの大切さや新しい視点から研究を切り拓く魅力と面白さについて記した。本文は自由民権運動史概観(第一章)、自由民権運動史研究の歩みと現在(第二章)の二章立てとし、一章では運動を生成・高揚・展開・収斂としてまとめ、二章では、明治時代にまで遡って自由民権研究の歩みと現況について触れた。そして「いま、日本の未来像の構築が求められるなかで」を跋文とし、原発事故問題を乗り越え未来を展望する歴史認識をもつことの重要性に触れて結びとした。小松裕氏は「足尾・水俣・福島をつないで考える」ことの意義を説き(「足尾銅山鉱毒事件の歴史的意義」)、中嶋久人氏は、「原発被害地域の復興、放射線の恐怖から解放という希望」(「原発と地域社会──福島第一原発事故の歴史的前提」)を歴史研究・学習に託している(歴史学研究会編『震災・核災害の時代と歴史学』青木書店、2012年5月)。同感である。真に民主的な社会の構築も、このような営みから果されよう。
[あんざい くにお/早稲田大学名誉教授]