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  • PR誌『評論』187号:三行半研究余滴② 代筆になる三くだり半

三行半研究余滴② 代筆になる三くだり半

高木 侃

上野国緑野郡岡之郷(現・群馬県藤岡市)で用いられた離縁状書式には「親子兄弟たりとも外人之事認べからず」との注記がある。離縁状は親子であっても本人以外の者は書かない。つまり離縁状は自筆で書くものとされていたのである。とはいえ、実際には文字を書けない無筆(江戸では文盲などとは言わなかった)の人もいたにちがいないので、やむをえないときには代筆による以外に方法はなかったはずである。なお、右の「外人」は本人以外の人の意であることは相違ないが、節用集に「ぐわいじん」とルビがある由であるが、筆者は「ほかひと」と読んだ。どちらなのか、ご教示いただけたら幸いである。
さて、作成当時なら夫が誰に代筆を頼んだか分かっていたとしても、百数十年以上たった現在それを代筆とは判別できない。十年ほど前、代筆した離縁状の本物ではないが、実例を見いだした。上野国那波郡福島村(現・群馬県佐波郡玉村町)の名主・渡辺三右衛門が書きついだ『三右衛門日記』(県重文)の記述である。そのなかに書き写された離縁状が代筆であった。夫・久五郎が代筆を依頼したのは、本人が「高齢」故で、本文は扱人に書いてもらい、日付と夫と妻の名前だけは本人が自筆でしたため爪印を押したとある。これで、代筆が行われた事実は確認できた。当然、文字の書けない者は全文代筆の離縁状を妻に渡すことになったはずである。
三年程前、離縁状そのものに代筆であることを明記したものを見出した。
写真(左頁)と釈文(解読文)を掲げるが、これは前回の花押型で一部引用した・の離縁状である。大きさはタテ32.0、ヨコ44.5センチで、A3サイズより大きく、これまで最大のものかもしれない。
   去状一札
一其方事、家風ニ合不申候ニ付、暇
遣 し 候、左 候 得 は 何 方 え
縁付候とも、此方ニ差構無之候、
為後日仍て如件 
 嘉永五年
 二月吉日   三平
         代筆
         實  玄(花押)
        橋本
         卯右衛門∪
        西町
         平  六∪
  はし本
   し ん 殿
【本文読み下し文】
そのほうこと、家風に合い申さず候につき、いとまつかわし候、さ候へばいずかたへ縁づき候とも、この方にさしかまえこれなく候、後日のため、よってくだんのごとし
三くだり半には、離婚したという離婚文言と、誰と再婚してもよいという再婚許可文言の二つの内容が書かれるのが普通で、一方だけでも有効であったが、全体の九五パーセントは両方が書かれている。妻を「家風」に合わないという理由で離婚しており、だから誰と再婚してもかまわないとしている。表題の「去状」は一般的に用いられた離縁状のタイトルである。橋本村は遠江国敷知郡内の村、西町は東海道新居関所の町名で、ともに現・静岡県湖西市である。
日付はペリーが浦賀に来航する前年の嘉永五年(1852)である。日付に「吉日」とあるのは、離婚したことが夫・三平にとって吉だったのであろうか。三平が無筆であったか否か不明だが、實玄に頼んで「代筆」してもらったことが明記され花押を加えている。名前から僧侶と思われるが、どこの寺の住職かは不明である。
「去り状に無筆は鎌と椀を書き」(文化四年)という川柳がある。文字を解しない者は、半紙に鎌と椀の絵を描き、お前は誰と再婚しても鎌椀(構わん)という夫の意思表示である。
[たかぎ ただし/日本近世離婚法史]