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  • PR誌『評論』186号:三行半研究余滴① ただ一通、庶民がもちいた花押型

三行半研究余滴① ただ一通、庶民がもちいた花押型

髙木 侃

私は江戸の離婚研究一筋、つまり離縁状と縁切り寺の研究を続けて45年になる。写真やコピーを含めて収集した離縁状は1200通に及び、私が所蔵する実物も200通を超えた。そのなかで、内容・形態や、離婚法上とくに特異で興味をそそる三行半を毎回一通、写真を掲げ、解説することで、三行半のワンダーランドに遊んでもらおうと思う。
まず、写真(左頁)と釈文(解読文)を掲げる。大きさはタテ27.0、ヨコ27.4センチである。
   手間之状
一此度不縁ニ付、為手間状、
刀一腰相渡候上ハ、其方儀
ニ付、此上何方え縁付候共、
少も等閑無御座候、以上
 申二月    道 良(花押)
   清右衛門殿内
     お ふ ゆ 殿
          参
三くだり半と俗称されるように行数は三行半である。ここでは、差出人の名前が難読であるが、道良と読んでみた。古文書では、氏名や住所など当事者に分かっている固有名詞はややともすると乱雑・粗略に書かれることが多く、この種の難読はつきものであり、どなたかご教示いただけると有難い。
読み下し文はこうなる。
この度、不縁につき、手間状として「刀一腰」あいわたし候うえは、そのほう儀につき、この上いずかたへ縁づき候とも、少しも等閑ござなく候、以上
これは古書店から購入したもので、出処は明らかにはできないが、離縁状のことを手間状と称する所は、現在の県名では岐阜・福井・山梨・長野の各県であるから、この三行半もそのどこかで使われたものであろう。
内容的に特異なのは、離縁の証拠の品として刀を一腰渡していることである。刀を渡した意味が奈辺にあるのかわからないが、ほかには「脇差壱腰」を遣わして離縁した事例が一例みられだけである。
最も珍しいのは、差出人が花押を、しかも木で造られた花押型を用いていることである。花押は中世に将軍などが印章にかわって盛んに用いたが、近世になっても武士が使用し、とくに書状の発給の多い大名などは自筆によらずに木製の花押型を押したが、一関藩主・田村氏の例では用途に応じて大きさの違う三つタイプがあった。また花押型には、外側の枠だけ押すものと花押そのものを押すものとの二種あったが、ここに紹介したものは後者の例で、かつ粗悪な作りである。しかし、大名が主として使った花押型を用いた差出人は、その地位・身分が庶民でも特別だったことを証している。なお、庶民の花押型はこれ一通だけである。
離縁状に用いられた「はん」には多い順から、印章約40%、爪印33%印のないもの31%で、ついで花押と拇印であるが、花押は42通、3.5%しかなく、私は4通所蔵している。うち自筆の花押2通の差出人(部分)を掲げたが、Ⅰの市川三平行光の場合、まず名乗りと実名を二つ書き、花押を丁寧に武家風に加えている。彼は現山梨県市川三郷町に居住の豪農だが、花押を加えて武家風を装い格式高い身分を演出したようである。・の差出人は「代筆實玄」の下に花押を加えている。おそらく名前から僧侶と想像されるが、いかがであろうか。
 [たかぎ ただし/専修大学教授・太田市立縁切寺満徳寺資料館長]