原輝史さんのご逝去を惜しむ

湯沢 威

親しくしていた早稲田大学商学部の原輝史さんが2011年8月18日、68歳でこの世を去った。原さんが病に倒れたのは2002年の6月であった。2ヶ月後にせまったリオデジャネイロでの第13回国際経済史学会で、一つのパネルの組織者として、慌ただしく準備している時に、研究室の書架の上から本を取り出そうと乗っていた椅子から転落して、救急車で病院に運ばれた。それがきっかけで長期の闘病生活がはじまった。以来、杖をついたり、奥様の押す車椅子で授業を数年続けておられたが、病状は悪化する一方で、研究の方もほとんどできる状態にはなかった。9年の闘病にもかかわらず、帰らぬ人となった。それまでエネルギッシュに活躍されていたのに、さぞ無念であったに違いない。
原さんの研究活動の全貌について、限られた紙数で紹介することは不可能であるし、また私がその任に相応しいとは思わない。しかし、お弟子さんの乗川聡さんの作成した詳細な業績目録によって、私なりに原さんの残したものを整理してみたい。原さんの著作は多岐にわたるが、順不同でいくつかの系列に分けることが出来よう。
第一の系列はフランス資本主義論である。『フランス資本主義研究序説』『フランス資本主義:成立と展開』『フランス戦間期経済史研究』を日本経済評論社からいずれも谷口京延氏の編集で出版された。原さんの研究活動の初期には「フランス資本主義の歴史的特質」の解明に情熱が注がれたが、カルテル(「フランスにおけるカルテル概念の変遷」)、とくにフランス的なカルテルであるアンタントについて分析が行われた(「1930年代フランスにおけるアンタント」)。70年代は資本主義の類型や構造分析に学界の注目が集まっていた。
第二の系列はフランス鉄道史の研究である。原さんの研究生活の中でもかなり早い段階から取り組まれた分野であるが、これは恩師F・キャロン先生の影響であろう。北部鉄道(「フランス鉄道経営の史的分析」)をはじめ、植民地鉄道(「フランス資本主義と植民地鉄道」『土地制度史学』)さらにはフランス国鉄の民営化や日本の新幹線とフランスTGVとの技術交流についても論じておられる(「日仏鉄道技術交流に関する一考察」(『経済学論究』関西学院大学)。
第三の系列は、フランスにおける科学的管理法の導入や生産性向上運動をめぐる研究であり、これは「フランス資本主義を貫徹する合理化と組織化」の延長上に位置づけられるものである。編著『科学的管理法の導入と展開』(昭和堂)や「訪米生産性向上使節団」(『経営史学』)などに結実している。
第四の系列は、フランスを中心としてヨーロッパ全体を視野に入れたものであり、それはEU経営史として発展させている。『現代ヨーロッパ経済史』(有斐閣)『EU経営史』(税務経理協会)などの編纂がその成果と言える。
第五の系列は日露戦後の日仏関係史を取り上げたもので、内容は豊富である。圧巻は20世紀初頭の、フィナリ訪日調査団(「フィナリ訪日調査団(1907)」)に始まって、日仏銀行の設立、それ以降、第二次世界大戦後の解散に至るまでの研究は、アジア史におけるフランスから見た国際関係を考察するうえできわめて興味深い(「日仏銀行の経営史(1912~1954)」など)。この研究系列には「渋沢栄一とフランス」や「渋沢栄一のフランス訪問」(『渋沢研究』)、「戦前期フランス三菱の経営活動」(『経営史学』)などの研究成果も含まれよう。魅力的なテーマを次から次へと追いかけておられた。
第六の系列としては早稲田大学と関連する人物史の研究である。朝河貫一(「朝河貫一の歴史学方法論序説」ほか)、橘静二(『大学改革の先駆者橘静二』行人社)、『早稲田派エコノミスト列伝』、「大隈重信とアルベール・カーン」などがある。そのほかに、教育論、早稲田エクステンション・センター長としての生涯学習に関するエッセーなども含んでいる。
最後に、原さんがフランスでどのような研究活動をされたか、その軌跡が手に取るように分かるのが「フランスの企業史料館」である。フランスの企業史料館の紹介とともに、原さんの研究日誌的性格を持つものである。(*「 」で表記した論文は、注記がない限り、『早稲田商学』に掲載されたものである。)
さて、このように原さんの研究は多面的であるが、そこにはいくつかの特徴を指摘することが出来る。第一に、たえず内外の学界動向を注視し、それに自己の研究テーマをリンクさせている。最近の若手の研究が資料に沈潜しすぎて全体像を見ないことに強い警鐘を鳴らしている。第二に、歴史研究にあたって鋭く現代的な視点で過去を見据えるという研究態度である。例えば鉄道を現代に至るまで問題史的に取り組まれた。第三に、国際的視野をフランスを軸に、EU史や日仏関係史まで幅広く研究された。
原さんは朝河貫一の歴史学方法論を論じるにあたって、「歴史学者が自己の学問論、世界観、歴史観などについて歴史学の著作以外の場所で折に触れ叙述した見解を集大成することにより、その歴史学方法論の本質に迫ることである。この方法は……場合によっては歴史家の歴史観や方法論がより直接的なかたちで吐露される場合もあり、この方法の重要性を看過することはできない」(「朝河貫一の歴史学方法論序説」)。原さんの研究の全容や真髄を究めるためには、著作の隅々まで見なくてはならないであろう。
原さんは海外の学会でも積極的に報告をされていたが、学術会議の経済史部会などでいつも我が国も率先して国際会議を開催すべきことを主張されていた。それがこの度、岡崎哲二さんや杉原薫さんたちのご努力で2015年に世界経済史会議が京都で開催することが決定された。これをご霊前にご報告しておきたい。
[ゆざわ たけし/学習院大学名誉教授]