神保町の窓から(抄)

▼18世紀の末、イギリスのエンジニアであったジェームス・ワットが蒸気機関を発明し、産業革命を大きく前進させた。それは職人を廃れさせ大量の工場労働者を誕生させることになった。いわゆる近代の出発である。資本と労働のせめぎ合いもこの時から激しくなるのだが、労働者も資本家も共通して求めたものは、経済の発展であった。それが「しあわせ」をもたらすと固く信じた。近代とは成長することが条件であった。この成長に対する強い執念は、強国の植民地争奪を起こし、戦争も惹き起こした。マルクスの『共産党宣言』も『資本論』も産業革命が生み出したものだ。社会主義という主義のもとに革命を成功させたのも、淵源は産業革命にあると言っていい。こじつけに近いこんな論法はともかく、経済の成長を前提にしたシステムや生き方(月給は上がるもんだという幻想、今ならどなたも判るだろう)が、この時代から始まっていることを言いたかった。二〇〇年もたっているが、それはまだ棄てられた思想ではない。今もしっかりと継承されている思想なのだ。より多くの「しあわせ」を求めて我われは近代を走りつづけてきたが、「しあわせ」になったろうか。「しあわせ」とは平和のことだ。平和とは「安心」ということだ。ほど遠いどころか逆行していないだろうか。
 だが、3・11福島第一原発の崩壊によって科学技術や進歩というものへの不信にも似た不安感が拡がり、我われを立ち止まらせることになった。進歩すれば人々は幸福になれるのか? 原子工学の世界は、進歩すればするほど災厄を増やしてはいないだろうか。自分で制御できないほどに酔いがまわっていないだろうか。被災地・被曝地から届く映像は、無表情な冷たい平面である。ここから連想するものは、3・10東京大空襲後の東京、そして爆心地の広島・長崎ではないだろうか。一瞬にしてすべてのものが消された戦争の記憶である。戦争なら敵がいるはずだ。誰と戦ってこの姿なのか。被爆国が自ら被曝している。敵は内部にいるはずだ。夏の花火の夜、花火師が誤って客席に花火を打ち上げたのとはわけがちがうぞ。
 山本義隆さんが『福島の原発事故をめぐって』(みすず書房)の中で言いきっている。「原爆と原発の理論は、基本的に物理学者が実験室で発見したものだ。ヒロシマ・ナガサキ・ビキニで、人体と自然に対する「政治的な実験」を経て、巨大な技術となった。その巨大な技術の内実は、ほぼ永久に始末もできない膨大な「死の灰」を発生させ、いったん事故が起これば人間の手に負えない「未熟」な技術である。」と。
 しかし、震災と原発事故によって我われは顔を上げることができた。それまでうつむいて、どうしていいかわからない日々を送っていたが、あまりの衝撃に顔を上げざるを得なかったのだ。上げた顔のすぐ前に、こちらをみつめる真剣な目があった。どうしよう。何をしよう。それでいい。不安なことは話し合えばいい。何が大事か考え合えばいい。それが始まりだ。この悲惨に気づいたからこそ、あえて未来に賭ける勇気が生まれる。パンドラの箱に潜んでいるエルピス(希望)を叩き起こせ。ガンバるのはニッポンじゃなくて、俺だ。
▼1988年に着手し8年がかりで仕上げた田口卯吉主幹『東京経済雑誌』の記事総索引は、東京近郊の図書館に勤務する19人のライブラリアンによって成し遂げられた大索引です。4700頁を超す重量もある4冊ものです。この索引作りの中心者のお一人であった金沢幾子さんが、この度、『福田徳三書誌』なる大作を上梓しました。10年以上も、たった一人で福田と格闘してきました。今年の年初に初校が出て、6回もの校正をしたものです。震災・原発の事故を気にしながらの仕事になりました。
 福田徳三といっても、今となっては、ピンとくる方は数少ないでしょう。大正期の経済学者でドイツに留学しブレンターノに師事し、東京高商で教鞭をとりながら、経済理論、社会政策、労働問題など多方面にわたり執筆・発言をした人です。吉野作造らと「黎明会」を組織し、急進的な雑誌『解放』の編集にも従事しました。当時は高い評価を受けながらも労働運動・社会主義運動の主流から、なぜはずれていったのか。この『書誌』によってそんな疑問にも回答を与えてほしいものです。金沢さんにこの仕事をすすめた杉原四郎先生は2009年に亡くなられています。生きて見ていただくことは出来ませんでしたが、私からも、謹んで先生の墓前に捧げたいと思います。先生、金沢さんの仕事がようやく形になりました。お褒めのことばをかけてください。
▼歴史学研究会が、「災害史について十分認識してこなかった」と反省している。それに十分応えることにはならないかも知れないが、10月『関東大震災・国有鉄道震災日誌』なる奇書を上梓した。国鉄の奮闘記である。年内には、弘化4年(1847)の善光寺大地震に遭遇した元村役人の記した「余震日記」を刊行の予定。詳細は次号で。 (吟)