変わり続ける「自由」と共に

杉本 竜也

古代から現代に続く西洋政治思想の歴史を通して、一貫して尊重されてきた概念は、「自由」であった。プラトンのような一部の例外を除いて、正面から「自由」を否定した政治思想家はいない。同時に、「自由」ほど、意味が変容してきた概念も少ない。そのため、「自由」は西洋政治思想史において最も目にする機会が多い概念であると同時に、最も理解が難しい概念でもある。

西洋における「自由」の基本的な意味は、「何ものにも従属していない状態」というものである。これは奴隷制度の存在した古代社会に由来しており、奴隷とは正反対の立場にあった市民の状態を形容するためのものであった。また、古代ギリシアにおける市民は政治への参加が条件化されていたため、「自由」はその状態だけでなく、政治に関与する権利も意味していた。このように、「自由」はその誕生からすでに複数の意味合いを有していた。その後、「自由」は変化を重ねていく。キリスト教の影響が強かった中世のように宗教的性格を帯びて語られた時もあれば、トマス・ホッブズが主張したように自己保存(生存)の権利や状態と重ねられることもあった。また、ジョン・ロックのように「プロパティ」(所有権・固有権)と一体化して理解されることもあった。

「自由」の歴史の中でも特筆すべきなのは、社会主義・共産主義の登場であろう。これらは近代政治思想が形成してきた「自由」概念を根底から覆し、労働者の解放という新たな「自由」を提示した。社会主義や共産主義の提唱者たちは「自由」という概念自体は否定しなかったが、その内実はそれまで考えられてきた「自由」とは完全に異なるものであった。さらに、社会主義・共産主義から派生した社会民主主義は、労働者をはじめとする民衆の境遇の改善とそれを可能とする政治・経済環境を、「自由」という言葉で表現した。このような主張をする人々は「リベラル」と呼ばれるようになる。複雑なことに、この「リベラル」に対抗する「保守」の人々も、「自由」を主張した。「保守」主義の祖と言われるエドマンド・バークが「保守」しようとしていたものは「自由」なイギリス国制であるため、保守主義も「自由」の擁護に行き着くことになる。その結果、「保守」と「リベラル」の間で、「自由」の争奪戦が起こっているのである。

そして今、「自由」は再び、大きな変化に直面している。たとえば、フェミニズムは、西洋政治思想の中核である「自由」主義の議論から生まれながらも、その構造的問題を厳しく批判している。このような批判をはじめとして、現在「自由」が中核に据えられてきた西洋政治思想史には批判的な再検証が求められている。それにもかかわらず、「自由」という概念自体が否定される様子はない。というよりも、従来からの「自由」を問い直すこれらの動きも、新しい「自由」を模索する取り組みだと理解されるべきであろう。

西洋の政治思想において、「自由」は変化を続けてきたし、それは今も継続している。「自由」は最も重要な規範概念であると同時に、時代の変化の旗印としての役割も果たしてきた。「自由」について考察するということは、過去を学ぶとともに、未来について考えることである。人間の本質に関する考えを深めると同時に、社会のあるべき姿を構想することでもある。

2月に刊行された本書『自由を考える──西洋政治思想史』は西洋政治思想史の教科書として企画され、まとめられたものである。読者の理解を容易にするため、本書は古代から現代へという歴史的流れに沿って思想家を紹介していくという、政治思想史の教科書としては一般的な形式を採用している。また、必要に応じて、歴史的事象に関する説明も加えている。政治思想史の教科書である以上、その知識と理論の習得を助けるのが、本書の第一の目的である。しかし、本書が真に意図するところは、西洋政治思想における最重要概念でありながら、古代から現在にいたるまで変化を続けている「自由」という概念について、それぞれの読者による再検討を促すことにある。多様な変化を遂げてきた「自由」について再考し、新たな時代の「自由」について考えるために本書を利用していただければ、著者としてこれ以上の幸いはない。

[すぎもと たつや/日本大学准教授]