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  • PR誌『評論』224号:本間義人先生を偲んで 生活を基点とする都市・住宅政策の追究と実践

本間義人先生を偲んで 生活を基点とする都市・住宅政策の追究と実践

木下 聖

都市・住宅政策の領域で数多くの業績を残された、法政大学名誉教授の本間義人先生が去る1月12日に亡くなられました。先生はジャーナリストから研究・教育の道に進まれ、戦前から高度経済成長期、バブル期を経て現在に至るまで、現場に足を運ぶことを通して、我が国の都市計画および住宅政策の現状とその変化を批判・研究され、生活に視座を置き都市および住宅のあり方を問い続けられた。戦後の都市・住宅政策の転機となった1980年代には、在野の専門家の枠を超えて市民を巻き込む活動にも取り組まれた。

「都市を考える法律家と建築家の会」は、1981年暮れ、都市計画法による「地区計画」制度の創設をきっかけに、本間先生と弁護士の五十嵐敬喜氏を中心に都市の破壊を憂える人々が集まってできた学際的、かつ実践的な集団でした。その設立の背景とねらいには、「都市問題は、本来トータルな病気であり、この病気は専門的に研究されると同時に、専門研究が集合して総合化されなければ、その全体像はみえない。……この会も、その意味で、法律家や建築家だけではなく、都市計画家や役人、そしてジャーナリストや市民等、都市問題にかかわるさまざまな人が集まっている。……専門の異なる人々が継続的に議論していくうちに、共通言語がつくられるようになるからである。……実践的というのは、この会では、各種訴訟や運動に、全員が取り組むということを指しており、そのような過程で、いつしか市民は専門家に、専門家は市民になっていく」ことが目指された。会は月一回恒常的に開かれ、その成果は、中曽根内閣が都市法制の規制緩和を基に民間活力を導入した再開発と都市改造「アーバン・ルネッサンス」を標的に、一冊の本にまとめられた(本間義人・五十嵐敬喜編『近代都市から人間都市へ──規制緩和批判』自治体研究社、1984年。引用は同書3~4頁)。

この本のなかで、先生はまちづくりの思想につながる考えを示されている。「わが国の都市づくりが「民風」にたずねることなく、もっぱら「官」により「官」のために「官」の都市をつくるのを目標に進められてきた……「民風」にたずね、とは……庶民の暮らしを基礎にして都市づくりを進めようということであろう。庶民の暮らしのもとになっているのは住まいであり、それぞれの住まいをとりまく住環境であるが、その基礎抜きにこの巨大都市の都市づくりは一世紀間進められてきた。わが国がいまだ「最善の都市」をつくりえないでいる理由を筆者はそこに見出したいのである」(17頁)。「(これまでの)都市計画における基本思想……をひとことで言えば、市民自治を認めぬ「官尊民卑」と「中央統制」思想ということであろう。これに対し都市自治体と住民によって制定された要綱や協定は、自治体と住民が自ら都市づくりを行なうことを宣言したものである。つまり、これまで建て前はともかく実際には都市を計画し形成し保全していくのに無力であった自治体、住民が開き直り、「民」による「民」のための「民」の都市づくりを宣言したのである」(34頁)。この「民」の都市づくりのなかに、暮らしの拠点である住まい、その集合体としての都市づくり、その基盤となる市民自治を位置付けられている。これは40年後の今にも引き継がれる、生活の視点から都市・住宅問題を取り上げ、そのあり方と改善策を問うていく姿勢に他ならない。先生はこの視座をもって変貌を続ける都市(まち)の取材と実践に取り組まれてきた。

その後、バブル経済の下、地価高騰、巨大再開発、マンション開発等の実態を追い、これまでの住宅政策、国土利用、都市論についての論考をまとめられる一方で、その対象は、バブル崩壊の影響を大きく被ることになった疲弊する地方の再生へも向けられた。各地の事例を取り上げて、地域再生の主役が住民自身であり、また国の政策に追随することのない、自治体の自律と自治の心構えを強調された。ライフワークである住宅政策については、戦後の住宅政策 (公営住宅、公団住宅、住宅金融公庫)が終焉を迎えるなか、憲法の生存権(第二五条)に基づく居住権を規定する住宅基本法の制定、また福祉政策および労働政策とリンクする必要を強く訴えられた。2001年の「日本居住福祉学会」の立ち上げにも関わり尽力された。

戦後の変化する時代に寄り添う形で、都市および住宅政策の実像に迫り、これを執拗に追究し、実践の仲間を募り、現実に即した論考と改善を発信するスタイルを通された。

ご冥福をお祈りします。

[きのした ただし/埼玉県立大学准教授]