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「生きること」を歴史から問う⑨ 『「生きること」の問い方──歴史の現場から』は、何を問うているのか

大門 正克

2022年1月、大門正克・長谷川貴彦編著『「生きること」の問い方──歴史の現場から』が日本経済評論社より発刊される。

刊行から10年前の2011年、若手・中堅、男女の日本史研究者、さらにイギリス史研究者が集まり、福祉社会研究会を発足させた。21世紀に入ると、歴史学では、「福祉」の歴史に加えて、「いのち」や「生存」の視点に関心が集まるようになった。この研究会は、「いのち」「生存」「福祉」の歴史に関心をもつ歴史研究者が、三者の関係史について議論するための場としてつくられた。

それだけではない。研究会を設けた背景には、新自由主義とグローバル化が進行し、認識論が問われるようになった時代と学問状況があった。研究会では、現代の状況と深くかかわる歴史学の新たな課題として、「いのち」「生存」「福祉」の関係史があると位置づけた。

以来10年間にわたり、全国から年2回集まって続けた研究会で印象に残るのは、日本史の個別報告で、個々の史料の理解をくりかえし議論したことである。歴史の神髄は史料の読み解きに宿る。歴史認識が問われるときだからこそ、史料の読み解きが決定的に重要なことが共通認識になった。また、「いのち」「生存」「福祉」の関係史は、つねに日本史とイギリス史の幅広い対比のなかで理解を深め、これらの議論と重ねるようにして、現代と歴史の対話も続けた。

研究会の成果を本にまとめる話し合いのなかで、本書のタイトル『「生きること」の問い方』が案として出たのは、2017年9月のことだった。

歴史学のなかで「生きること」に正面から光があたるようになったのは、比較的最近のことである。たとえば、21世紀に入ってから、「生きること」をタイトルにつけた歴史書が2冊発刊されている。塚本学『生きることの近世史』(平凡社、2001年)と、倉地克直『「生きること」の歴史学』(敬文舎、2015年)である。

それに対して私たちの本のタイトルは、何よりも「いのち」「生存」「福祉」の関係史をめぐる議論の積み重ねのなかから編み出されたものだった。2017年の私たちは、「いのち」「生存」「福祉」は、生にかかわる切実な課題であり、その課題は「生きること」に集約できること、歴史のなかに「生きること」を問うために重要なことは、その問い方にあるとして、「「生きること」の問い方」に照準をあわせた。

そこで私たちが設定した問い方は、歴史のなかの生を支える関係性に留意することであり、そのためには史料読解と歴史家を囲む磁場の自覚が欠かせないということだった。

あらためて「生きること」をめぐる歴史学の動向と時代の状況を振り返ってみれば、鹿野政直が、歴史学では、「人ガ何ヲシタカ」に関心を集中させ、「如何ニ生キタカ」はほぼ等閑視されてきたと述べたのは1990年代末のことだった。1980年代まで「問題」史として通史を構想していた鹿野は、1990年代以降になると、通史の関心を「「生」の主題化」に移行させている。

「生きること」にかかわって、現在、頻出する言葉のひとつに「生きづらい」がある。これをはじめて使ったのは2000年代の雨宮処凛であり、現在では、歴史のなかの「生きづらさ」が議論されるようになった。

『「生きること」の問い方』は、これらの学問・時代状況と切り結ぶものであるとともに、「「生きること」の問い方」に照準をあわせる必要性を自覚した共同研究であり、この点に本書の特徴と独自性があるといっていい。

2017年の問題関心を継承・発展させつつ、本書では、「「生きること」の問い方」の課題を3つ設定した。第一は、生の構造と主体の関係、そして両者が絡み合うプロセスに目をこらして、「生きること」の歴史的な存在形態を探ることであり、第二は史料読解への留意、第三は、現在を生きつつ過去を問う私(執筆者)への自覚である。

歴史のなかの「生きること」を問うためには、生の構造とともに、そこに生きた人びと(主体)の側から生の構造を問い直す必要があり、それらを検証するために生のプロセスを注視する必要があること、このように生の構造・主体・プロセスの織りなす歴史の現場に目をこらすこと、生をつなぐ多様なあり方を、文字史料から聞き取りに至る多彩な史料とその読解のなかに探ること、加えて現在を生きることへの自覚が必要だと考えた。

本書では、序論「歴史のなかで「生きること」を問う」(大門正克)で、現在の状況や研究史をふまえ、課題と方法を明示した。ついで幕末・維新期から現代までの日本を対象にした八つの章を、第1部「近世から近代へ」と第2部「近代から現代へ」に配置した。

二つの部は、時代の転換の意味を、そこに生きた人びとの側から考えるために設置したものである。二つの部の終わりには、日本史の「生きること」をより広い視野で理解するために、ヨーロッパやイギリスと日本を対比した論点1「近世から近代を生きる」と論点2「新自由主義の物語を超えて」を配置し(長谷川貴彦)、本書の最後に「結び」(大門正克)を置いた。

本書の第1部には、第一章「女・子どもの「いのち」を守る社会的紐帯の形成」(沢山美果子)、第二章「「結社の時代」を生きる」(大月英雄)、第三章「近代民間福祉の出発」(大川啓)、第四章「近代日本を漁業出稼ぎで生きる」(中村一成)を収録し、第2部には、第五章「東北大凶作を生き延びる」(鬼嶋淳)、第六章「生きる術としての示威行動」(佐々木啓)、第七章「山間の地で生きること」(高岡裕之)、第八章「共同的記憶がつくる「民主主義」」(倉敷伸子)を掲載してある。

「生きること」は、現在の喫緊の課題であり、本書の執筆者もまたそれぞれ、今を生きる課題をかかえながら歴史研究を続けている。過去と現在の往還のなかで、現在をめぐる問いを歴史のなかに、とりわけ歴史のなかの「生きること」の営みに探る試みは、翻って現在を生きる執筆者を照らし出すことにもつながるはずである。のみならず、このような現代と歴史をめぐる問いは、現在を生きる読者にも届くものだと思っている。

史料の読み解きを重ね、現在を生きつつ過去を問う私(執筆者)を自覚し、歴史と現在を往還しながら、歴史のなかの生の構造と主体、プロセスを検証した叙述が、どのように歴史の生の現場を浮き彫りにしているのか、ぜひ本書を直接手に取り、各章と序章、論点で成り立つ本書全体を味読してほしい。そして、本書をひとつの契機にして、歴史のなかの「「生きること」の問い方」をめぐる議論が喚起されることを願っている。

[おおかど まさかつ/早稲田大学特任教授]