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五十周年記念特集●歴史学研究の「これから」─体験と運動③ 運動を「歴史」にすること──被爆者運動史研究プロジェクトに際して

松田忍 

昭和女子大学の学生たちとともに、被爆者運動の歴史的分析を目指す共同研究プロジェクトに取り組んでいる。

私が被爆者運動史料に触れることになったのは全くの偶然であった。ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会から、研究者仲間を通じて、被爆者運動史料整理への協力を打診されたのが2012年であった。戦後史史料を保存する意義と学生たちを史料整理に参加させる教育的効果とを考えて引き受け、そして現在に至るまで100名以上の学生ボランティアとともに、史料整理に協力してきた。

史料整理の進展を経て、2018年度から学生との共同研究を開始し研究発表を行うなかで驚いたのは、プロジェクトに対するメディアからの関心の高さであった。活動を紹介して頂けることはたいへん有難い一方で、戦後運動史を扱う難しさを考える機会となった。

プロジェクトでは、毎回報告担当をきめて史料を紹介し合い、お互いの知見を持ちよって史料批判を加えて議論し、歴史像を作りあげている。歴史学の共同研究としてはそれなりにオーソドックスなスタイルであろう。

一方で、学生たちへの取材は「若者として原爆・被爆者について思うこと」や「なぜ広島・長崎出身ではないのに被爆者運動に興味を持ったのか」などの点に集中した。被爆者運動の歴史的展開について自らが明らかにしたことを話したい学生たちと、生身の若者としての発言を求めるメディアとの間には隔たりが存在した。また私に対する取材では「史料をベースに議論するというのはどういうことですか」との歴史学の方法に関するご質問を多く受けた。史料を吟味し、組み合わせて歴史像を作りあげるプロセスを説明すると、記者の方の多くはむしろプロセスの方に興味をもって下さった。

さて、この話の根底には、被爆者運動の読み解き方に多様性を認めるか否かの論点があるように思われる。被爆者運動は反戦反核を目指す運動として、社会的に位置づけられてきた。そして将来の平和を担保するために原爆体験を「継承」する必要性が自明とされてきた。そのもとでは学生たちの姿は必然的に「継承」の担い手と映るであろう。また史料の多様な読み方の可能性を検討する必要性も伝わりづらい。

しかし直野章子がいうように、戦争体験と反戦平和の理念は論理的につながっているわけではない。戦争体験を根拠に反戦平和を訴える理念は日本国憲法で制度化され、戦後日本社会に広く浸透した。しかし論理的には戦争体験がさらなる復讐心を育むこともありえたわけである(同『原爆体験と戦後日本──記憶の形成と継承』岩波書店、2015年)。海外からの視線をいれるとこの問題はより明確になる。私が接したアジア人留学生は「被爆体験をもつ日本が核武装しないのは変だ」と不思議がっていた。

ところで被爆意識が反核反戦の論理に必然的に帰結するのであれば、被爆者運動史の歴史的研究をおこなう必要性はほとんど存在しない。現在を生きる私たちは、生身の状態で「あの日」と向き合い、「正しい結論」を導けばそれで事足りるからだ。一方で「あの日」のみを硝子ケースに入れて「継承」することが将来を生きる私たちになんらかの叡智を与えてくれるとも思えない。そこには批判的思考の余地も必要もないのだから。

重要なのは「あの日」とその後を歴史的文脈に位置づけて読み解き、私たちが認識可能なレベルで言語化することであり、歴史学が活躍する余地はそこにあると思われる。プロジェクト参加学生たちの最近の流行語は「「あの日」と現在を地続きにする」である。

地続きにはなりきっていない論理的連関は多数存在する。

たとえば1956年の被爆者たちの国会請願には「被害者の生命の恐怖、生活の苦衷を御推察下さい」の表現が登場する。現在の日本被団協が各種調査をもとに政府に国家補償を要求しているのとは大きな隔たりがある。たとえば1970年代以降原爆被害に関する大規模な調査がなされ、「あの日」とその後のお互いの体験を共有して初めて、原爆体験は被爆者の共通体験となっていく。たとえば被爆者運動は「受忍論」に対して立ちむかったが、その一方で多くの人びとが「受忍」を黙認した戦後日本社会の構造とは何か。

当事者一人一人の人間的な思考や選択がまずあり、組織としての協議と決定があって、運動のあり方が決まっていく。その人びとの営みを解明するのが人文科学たる歴史学であろう。戦後運動史研究では、なんども歴史学の本質に立ち返らないと研究対象に歯が立たないことを痛感している。

[まつだ しのぶ/昭和女子大学准教授]