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五十周年記念特集●災害とコミュニティの「これから」─孤立と協同③      原子力災害と農村コミュニティー

小山 良太

原子力災害発災10年を機に検討されている放射能汚染対策、放射性物質検査体制の転換に対し、この間の「風評被害」状況及び流通構造の変化を踏まえた新たな検査制度、産業振興政策の構築とそれに基づく産地形成の在り方を検証する必要がある。そのためには震災10年の間に何が損なわれ、何が回復可能であったのか、原子力災害の損害構造を明確にすることが必要であり、原子力災害に伴い実施された様々な事業、補助の総括を行うことが求められる。震災前には戻れない福島の産地において新しい産地と流通システムを構築するための基礎資料の作成が急務である。

放射能汚染による損害は三つの枠組みで捉えられる。第一は、フローの損害である。これは、作付制限対象となった農産物、出荷制限となり生産物が販売できなかった分の経済的損失及び「風評被害」等による取引不成立や価格の下落分の損害である。

第二はストックの損害である。これは、物的資本、生産インフラの損害であり、農地の放射能汚染、避難による施設、機械の使用制限などが含まれる。2013年度より、東京電力による財物賠償が開始されたが、減価償却が終了した農機具などは一括賠償の対象となり、利用可能であったが放射能汚染により使用できないケースにおいても、再購入価格には程遠い賠償額が査定されてしまうという問題を抱えている。

重要なのは第三の社会関係資本の損害である。これまで地域で培ってきた産地形成に関わる投資、地域ブランドなど市場評価を高めるための生産部会活動、農村における地域づくりの基盤となる人的資源やそのネットワーク構造、コミュニティー、文化資本など多種多様な社会関係資本が損害を被っている。例えば、農村では若手農業者が青年部、消防団、祭やイベントなど地域活動の実行委員会を経て、その一部が生産部会長や農協の理事、組合長といった地域リーダーに成長していくプロセスが形成されてきた。原子力災害では、放射線被ばくへの心配から子育て世代を中心に若手中堅層の帰村が遅れる傾向にある。旧避難指示区域では十数年におよびこれら資源・資本を利用することが出来ない。この損失分をどのように測定するか、対策としてどのように穴埋めするか、このことは極めて重要な問題となる。現段階では、損害賠償審査会でもまったく手つかずの状況である。

原発事故後、福島県の被災者・住民は様々な局面で分断されてきた。放射能のリスクに関する考え方、事故直後に避難したのかしなかったのか、福島県産農産物を食べるのか食べないのか、福島で子育てを行うのか、避難指示解除区域に帰村するのか避難を継続するのか、賠償金を貰っているのか貰えないのか。様々な場面で分断が継続・深化している。これが被災地の声を一つの要求としてまとめることが出来なかった所以である。福島県のある自治体では、事故後の3年余りで、原子力災害に対処するための住民諸組織が複数乱立し、行政側からはどれが住民の意見を代表する組織なのかが分からないという問題が生じている。組織の課題は、それぞれ賠償問題、除染問題、避難の問題、放射線と健康の問題など多岐にわたる。関係住民の属性も、若者・子育て世代対高齢者、既存住民対新住民、農業者対会社員など様々であり、被ばくリスクへの感度に代表されるようにそれぞれ意見が異なる。これらを一つにまとめるためには時間がかかる。福島県相馬市の伝統行事「相馬野馬追」は数百年にわたり培ってきた社会関係資本がベースにある。原子力災害の最大の損害は時間を奪ったことに他ならない。

農村における「信頼」「規範」「ネットワーク」といった社会関係は、裏を返せば、軛であり、しがらみでもある。これは農村の閉鎖性や閉塞性など否定的な側面とも結びついている。新規参入者の既存農家との対立などは多くの農村でみられるが、被災地ではそのバランスが一瞬で瓦解してしまった。東日本大震災後に盛んに使われたキャッチコピーに「絆」がある。絆は英訳すると「bonds」であり、「縛るもの」「束縛」「契約」を意味する。おそらく震災復興に「絆」を使用することを考案したコピーライターは、絆を「ties」「縁」という意味で使ったと思われるが、震災・原発事故により、土地から切り離された住民、農地から離れざるを得なかった農家を皮肉なまでに表現している。真の復興のためには、地域農業と農家とを結びつける農業協同組合に新たな地域形成の役割を期待したい。

[こやま りょうた/福島大学食農学類教授]