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五十周年記念特集●経済学研究の「これから」─活路と隘路③優秀会社史賞にみる企業史料の今後

大島久幸

 今回、著書の紹介ではなく何か思うところを書くという形で「評論」の執筆機会を得た。正直、慣れない状況に戸惑いつつ、真っ先に思ったのが、自らの研究の基盤となる企業史料の将来への危惧についてであった。そしてそうした思いを持つきっかけとなったのが、筆者がまだ三〇代半ばであった二〇〇四年から今年までの一六年間、担当させてもらっている優秀会社史賞の一次選考委員での経験であった。
 優秀会社史賞とは一九七八年から始まった隔年で優れた会社史を選考して表彰する制度で、今年、第二十二回を迎える。選考は、専門研究者らによって構成される「優秀会社史選考委員会」が行い、日本経営史研究所が事務局を務めている。ちなみに第一回の選考委員は中川敬一郎、伊牟田敏充、大東英祐、間宏、山崎広明、由井常彦、米川伸一という研究者に加え、坂口昭(日本経済新聞)、末吉哲郎(経団連図書館)がメンバーであった。その後、一九八四年(第四回)から若手研究者を配した予備選考委員という制度が設けられ、選考委員の負担を減らす制度が定着した。筆者が長く担当してきたのはこの予備選考委員(現在の一次選考委員)の方である。予備選考委員は対象期間中に刊行された社史を数名ですべてに目を通して寸評を付し、選考に値すると思われる候補作を挙げるという作業を担うため、たくさんの社史をまとめて読む。網羅的に社史を読むことは苦労も多いが学ぶべき点も多く、もはや「若手」というには若干無理がある(…かどうかは議論の余地がある)がお願いして担当させていただいている。
 選考対象社史の点数は、優秀会社史賞の創設以降、一九八〇年代後半にかけて急増し、一九九〇年代にピークを迎える。ピークを迎えつつあった一九八六年の選考報告書で、委員長であった中川敬一郎は「多くの経営史家たちが、日本経営史の分野での著作に当たり社史を第一級の資料として自信をもって挙げるようになっており、我が国は社史の刊行点数においてだけでなく、その内容の信頼性においても世界の最高水準にある」と述べているように、この時、社史(および社史執筆に向けて収集される企業史料)は学術的な分析に堪えうる水準を期待できるほどになっていた。一九九二年には中川敬一郎に代わって委員長になった森川英正が「受賞作品五点のうち四点までが豪華大作なので、うっかりすると豪華大作でないと、いい社史ではないと誤解されるおそれがある」と述べたほど、社史文化は華やかさを見せていた。
 しかし、一九九七年の銀行危機を契機に日本経済が構造的な問題に直面しているという認識が広く共有され、事業再編に対応した制度改革が急速に進展し、戦後高度成長期にかけて形成されてきた日本の企業システムが相次いで変更されることとになると、社史の刊行にも変化がみられるようになっていった。
 二〇〇二年以降委員長を務めている宮本又郎は、二〇〇八年(第十六回)の報告書で、「近年、刊行数が減少していることに加え、質的にも、資料収集・執筆・編集に多くの時間や人手を投入した本格的で重厚な社史は減って、やや「お手軽」ともいえる社史が増えている……日本は『社史大国』と呼ばれてきたが、近年は社史に対する日本企業の意識、姿勢が構造的に変化しつつあるのかもしれない。……日本の社史の質・量ともに低下していることが『歴史に学ぶ』という長期的視野に立つ経営スタイルの希薄化を意味するものであれば、それは寂しいことである」と述べている。こうした実感は、長く社史に関わった方々にかなり共有されている認識であろうと思われる。
 このように企業が内部史料を保存・収集する重要な契機となっていた社史文化は、その継続を期待できるか分からない状況にある。加えて、近年は企業史料がデジタル化されているため、技術面での保存方法の難しさがビジネスアーカイブの世界では盛んに議論されている。社史関係部署・企業博物館と研究者の対話の機会を制度的に増やすことや、非現用資料について大学・研究機関で預かることなどの対策も考えられているが、未だ十分な成果を得ていない。「現在」が歴史になったとき、後世の経営史家は企業を分析する手段を持ちうるのかという懸念はぬぐえない。その方策について多くの叡智が結集されるべき時期にきている気が強くしてならない。
[おおしま ひさゆき/高千穂大学教授]