独り相撲

中川 辰洋

 海外の知識や情報はもっぱら仏語と伊語の書物や雑誌から仕入れたと豪語するアダム・スミスではあるが、語学の達者な人ではなかった。『国富論』出版百年を記念して十九世紀末に刊行された新版『国富論』の編集者ソロルド・ロジャーズは、「仏語の読み書きはまあまあだが、会話はからっきしだった」と記している。
 それでも、スミスが『道徳情操論』のなかで「放縦なる諸学説」の代表例としてバーナード・マンデヴィルとラ・ロシュフーコー公爵をやり玉に挙げているのを見ると、「読み書き」も大したものではなかったような気がする。スミスも後年まずかったと思い、同書第六版で公爵の名を削除したのは、せめてもの救いである。
 スミスによると、『マキシム』の著者は「悪徳と美徳との間の区別を全く取り除くように思われ」る「極めて有害な」思想の持ち主である。しかし、何をもってそう言うのか。正直よく分からない。「何人も悪意の人となりうる強さを持たない限り、善良さを称えるに値しない。それ以外のあらゆる善良さは、殆どつねに惰性か、さもなければ意志の薄弱にすぎない」のくだりがそうなのかというと、違うようだ。
スミスの著書に目を落として気づいたのだが、倫理学の大先生はラ・ロシュフーコー公爵の思想を英語に正しく置き換えていない。スミスの批判はけだし誤訳に基づく誤解のなせる業ではなかったか。例えば、スミスは『マキシム』四九〇にこんな訳を付けた。 “Love, says Lord [La Rochefoucauld], is commonly succeeded by ambition; but ambition is hardly ever succeeded by love.”
 スミスはおそらく承知していないと信ずるものであるが、公爵どのがかく言うのは、自らは「野心に悩まされることがない」からである。だが、何よりもいただけないのは英訳のまずさである。この点、「スミスの仏語は自己流で時に公爵の趣旨からかけ離れてしまうことも多々ある」と言う『道徳情操論』の訳者・米林富男に同意したい。
 オリジナルをねんのため紹介しておこう。“On passe souvent de l’amour à l’ambition mais ne revient guère de l’ambition à l’amour.” 
英文科の同僚教員や知人の仏文学者に意見を求めた折、筆者はこう訳出した。「人はしばしば愛を野心に変じるが、野心が再びもとの愛に戻ることは殆どない」。
 読者諸賢は直訳調でお気に召さないだろうが、「愛」や「野心」は人間特有の感情だから、これらが独り歩きするはずはなく、「仏語の“on”をあえて『人は』と訳出したあんたは正しい」とお褒めの言葉をちょうだいした。ばかりか、スミスの訳は「間違いではないが誤解を招く懼れがある」と、スミスの「自己流」仏語を裏付けてくれた。
 縁とは異なもので、スミスは後年、的外れの難癖をつけた『マキシム』の著者の孫娘アンヴィル公爵夫人および子息ルイ=アレクサンドルと、スイスに移り住んだヴォルテールを介して知己を得る。バックルー公爵のお供の大陸旅行の途次のことで、翌年パリで再会したスミスとアンヴィル公爵夫人は懇意になる。そしてこれを機に、帰国後『国富論』の執筆に多大の影響を与えた『富の形成と分配に関する諸省察』の著者テュルゴーをはじめ多くの知識人と交流することになる。
 スミス自身、『道徳情操論』を上梓して長い時間が経過し、さすがにラ・ロシュフーコー公爵の解釈が独り相撲と気づいていたはずである。同書第六版で己が非を認め公爵の名を削除している。一七九〇年のことであったが、スミスはこの年公爵やテュルゴーらの待つ彼岸へと旅立った。
独り相撲といえば、スミスが「友情と尊敬の念」をもって接したテュルゴーの「歴史観」を批判した出口勇藏の戦前の論文(京都帝國大學經濟學會『經濟論叢』第五十四巻第六號、一九四二年六月、所収)もその例に漏れない。出口は、テュルゴーが一七七四年に財務総監に就任し国王ルイ十六世に建議した三部会廃止等の国家組織改革案を評価しつつも、以下の一文をもって誤った思想の持ち主と論難する。出口訳の曰く、「社會に於いて一致する人間の諸權利は人間の歴史に基づくものではなくして、人間の自然に基づくものである。理由なしにつくられた制度を不朽なものにするいわれはない」。
 「人間の自然」の原語は“la nature des hommes”,明らかな誤訳で、「人間の本性」と訳出すべきだ。テュルゴーは批判されるいわれはない。
[中川 辰洋/青山学院大学]