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  • PR誌『評論』215号:今なぜ平田清明か  ──『市民社会と社会主義』五〇年によせて

今なぜ平田清明か  ──『市民社会と社会主義』五〇年によせて

山田 鋭夫

 今年は平田清明(一九二二~九五年)の名著『市民社会と社会主義』(一九六九年)が出版されて五〇年、来年は平田没後二五周年にあたる。この記念すべき年々を迎えて、このたび日本経済評論社から平田清明にかかわる二著が刊行されることになった。ひとつは平田著『フランス古典経済学研究』、もうひとつは『平田清明著作 解題と目録』である。
前者『研究』は平田が一九六一年、京都大学に提出した学位論文であり、これまで公刊されていなかったものである。それは一九五〇年代の若き平田が、イギリス経済学とは異なる「フランス古典経済学の復位」を目指して書き綴った諸論文からなる大冊だ。今回、この学位論文につき綿密な校訂を施し、また解題を付して、初めて多くの方々に利用してもらえるような形で世に出すことができた。これによって、最初の著書『経済科学の創造』(一九六五年)にさらに先立つこと五~一五年、青年平田の学的出発点について理解が深まれば、と願っている。
これに対して後者『解題と目録』は、平田清明の膨大な著作活動の全貌を鳥瞰しようという試みであり、少なくともそのための資料を提供しようとするものだ。学位論文は別にして、平田には没後編集を含めて全部で一二の単著がある。「解題」はそれら各著書について成立経過、論旨、反響などを整理しており、また「目録」は約六四〇点におよぶ平田の著述記録を細大もらさず収集し、ほぼ完全版といってもよい書誌となっている。
平田清明の原点と全貌。この度、これに関する基礎資料を学界財産として提供させていただくことになったわけだが、それというのも私たちは、半世紀前の著作『市民社会と社会主義』が当時もった衝撃を十分に認めたうえで、しかし同時に、平田清明がこの一著のみで評価されることを危惧し、またそれ以上に、平田理論の今日的意義を考えてみたいからである。つまり第一に、平田には『市民社会と社会主義』以前に古典経済学への地道な沈潜があり、またこの書物以後、平田は何らかの形で変貌をとげた面もある。私たちはいま、そういった変化を含む全体像と若き日の学的原点とを踏まえて、あらためて『市民社会と社会主義』の位置と意味を問うべきであろう。さらに第二に、刊行後五〇年、現代という時代における経済社会の現実のなかで本書を読みかえしてゆく必要があろう。
 第一の点から始めよう。『市民社会と社会主義』は、(1)西欧生まれのマルクス的社会主義は市民社会の否定でなくその継承として構想されていたこと、(2)しかし現実の社会主義には(そして高度成長日本にも)この市民社会が未成熟であったこと、(3)西欧的市民社会は自由・平等とともに個体的所有を少なくとも形のうえでは実現するものであったこと、(4)それゆえマルクス的社会主義は「個体的所有の再建」として定義されるべきこと、──これらを主張した。それは「社会主義とは国有である」との当時の常識をひっくり返して一大論争を巻き起こした。同時にそれは中ソ対立やチェコ事件に揺れる当時の社会主義諸国を「市民社会なき社会主義」として批判し、また高度成長の結果、産業公害が激発し管理社会化が進んだ戦後日本に警鐘を鳴らした。
 つまり平田は「市民社会」を、われわれが獲得し実現していくべきものとして熱く提起した。だがしかし、一九八〇年代後半になると平田は、市民社会を「ヘゲモニー闘争の場」とするグラムシを受け入れてゆく(『市民社会とレギュラシオン』一九九三年)。市民社会はこれから「獲得」すべきものなのか、それとも既にある「闘争の場」なのか。両者が単純に二者択一の関係にあるとは思えないが、平田のこの変化をどう理解したらいいのだろうか。これは一例でしかないが、初期─中期─後期の平田において変化したものと一貫しているものとをあくまでも平田内在的に解読していく一助として、今度の平田関係二著が役に立つことを希望している。
 さて、第二の論点、すなわち二一世紀現代における『市民社会と社会主義』の意味について考えてみよう。一九九〇年前後、社会主義諸国は市民革命によって雪崩をうって崩壊し、平田市民社会論の「予言」は思わぬ形で的中した。旧社会主義は我さきに資本主義へと移行しはじめ、資本主義の全面的勝利が喧伝された。そのことは皮肉にも「社会主義における市民社会」という、一九六〇年代平田の問題関心を時代遅れなものにした。
平田市民社会論は死んだのか。そうではあるまい。社会主義の消滅とともに資本主義も大転換を遂げたからだ。しかもその転換たるや、福祉国家から不平等レジームへ、工業資本主義から金融資本主義へ、要するにケインズ主義から新自由主義への大変身であった。日本に即して補足すれば、高度・安定成長から長期停滞へ、企業一家主義と土建型利益誘導政治で保護された「みんないっしょ」的社会から「自己責任」型の格差社会への変身でもあった。資本主義は資本の暴走を抑える社会的な制度と倫理をかなぐり捨ててしまい、いわゆる戦後資本主義も消滅してしまったのだ。廃墟のなか、われわれは新自由主義のなかで翻弄されている。
 言葉を変えれば新自由主義のもと、民主主義や市民社会が危機に陥ったのである。この五〇年、日本においても市民社会的なものはある程度の成熟を見せてきたが、それはしかし、倫理なきグローバル資本主義の圧力を前にして、まことに心もとない状況である。いや、私たち自身の市民的倫理意識も十分に育っているとはいえない。世界を見わたしても、一方で新興資本主義(旧社会主義や多くのAALA資本主義)では腐敗・独裁がはびこっていて、市民社会は「未成熟」というほかない。かといって欧米を中心とした在来資本主義の方も、一部の金融権力のもとに政治が支配されていることが多く、市民の側からの政治経済の調整能力が減退し、ポピュリズムや排外主義が横行している。ここでは市民社会は「衰退」しつつある。資本主義と市民社会がそれなりに共存しえた五〇年前にくらべると、時計の針は明らかに逆回転してしまった。
 『市民社会と社会主義』。平田はこの語に託して問題を提起したが、この書を貫く「市民社会」や「個体的所有」などの概念は、社会主義という対抗軸を失った、そのような現代資本主義を批判的に克服していくための基礎視座として蘇生されねばならない。
[やまだ としお/名古屋大学名誉教授]