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リーマン後一〇年における「金融化資本主義」

斉藤 美彦

昨年(二〇一七年)は、マルクスの『資本論』の第Ⅰ巻が刊行されてから一五〇年目の年であった。良書の寿命は大変に長く、大きな力を持つものだといえるであろう(ただし、当初のその印刷部数は一〇〇〇部であった)。『資本論』は資本主義の理論的な分析の書であるが、そこには一九世紀のイギリスの現実が大きく反映していた。その五〇年後に出版されたレーニンの『帝国主義論』は、その時期の独占段階へと変容していた資本主義を分析しようとするものであった。同書はヒルファディングの『金融資本論』(一九一〇年刊)の影響を大きく受けたものであったが、独占段階の資本主義をその「最高の発展段階」としていた。同書は今日でも読まれてはいるが、その出版と同じ年にレーニンの指導により誕生した「ソビエト社会主義共和国連邦」はもはや存在しない。「資本主義の最高の発展段階としての帝国主義」から「社会主義」への世界史的な移行は発生せず、資本主義はさらなる変容を遂げることとなってきている。
ところでマルクスが見ていた一九世紀のイギリスでは一〇年に一度の循環性恐慌が発生していた。一九世紀の後半以降、恐慌の形態は変化してきたが、ここ数十年においてパニック的な混乱が主として金融市場において頻発するようになり、それが実体経済に悪影響を及ぼすような事態も発生した。その最たるものが一〇年前のリーマン・ショックであろう。この世界的な危機は、金融主導で発生し、しかもその原因が貧しい人々が借りていた住宅ローンの支払い不能によるという、これまでにないタイプのものであった。そしてそのさらに一〇年前(一九九八年)にはアメリカにおいてLTCM危機があり、日本では長銀・日債銀の破綻があった。その一年前は拓銀・山一証券の破綻があり、アジア通貨危機があった。そして、そのさらに一〇年前(一九八七年)にはブラックマンデーがあった。
こうしてみると、ここ数十年の資本主義は、金融部門の混乱を主因とする危機が頻発しているように思われる。金融面の混乱が頻発するような状況は、資本主義の変容と関係するのであろうか。コスタス・ラパビツァス著『金融化資本主義──生産なき利潤と金融による搾取』は、一九七〇年代末以降の資本主義を「金融化」(financialization)ないしは「金融化資本主義」と捉え、それを新たな段階規定として提示している。「金融化」論というのは、著者のオリジナルではなく、一九九〇年代頃から欧米のマルクス派およびポスト・ケインジアン等により主張されてきたものであるが、本書はそれらの議論を紹介・検討したうえで、「金融化」を「非金融企業、銀行および家計」の行動様式の変化がもたらした事態と捉えている。
なお、本書においては「金融化」を明確に資本主義の一発展段階と位置づけており、またそこには多様な形態があることを認めている。これには日本のマルクス経済学、特に宇野弘蔵の『経済政策論』の非常に大きな影響を見てとることができる。
また、本書は「金融の優位」の時期として、ここ数十年だけでなく、ヒルファディングおよびレーニンが分析対象とした時期もそうであるとし、この時期(一九世紀末から二〇世紀初頭にかけての時期)を「金融の優位」が生じた第一の時期としている。本書ではヒルファディングの議論をかなり詳細に紹介しているが、周知のとおり彼は「金融資本」という概念を提出した。これは「銀行資本」でもなければ「証券業資本」でもなく、「独占的な大産業資本と巨大銀行資本の融合した状態」を指す概念である。そのことも意識して、本書では日本で「金融資本主義」と訳されることが多い‘finacialized capitalism,を敢えて「金融化資本主義」と訳している。これは、本書において多く登場するヒルファディング的概念である「金融資本」に「主義」を接続した言葉として「金融資本主義」という言葉が認識されることがないようにとのことが、その理由である。トマ・ピケティの著書の日本語版の題名は『二一世紀の資本』と「論」がカットされていたが、本書の日本語版においては「金融」に「化」がプラスされている。
それはともかくとして、金融危機は西暦の下一桁が七か八の年の秋に勃発するケースが多い。今年の秋はどうなのであろうか。
[さいとう よしひこ/大阪経済大学教授]