経済学における革命

藤井 盛夫

経済学の歴史において革命と呼ばれるものは少なくとも二つある。一つは一八七〇年代の限界革命であり、もう一つは一九三六年のケインズ『一般理論』出版によるケインズ革命である。
そもそも革命とは天命が革まり、王朝が代わること、既存のものやことが一掃されて新しいものやことが取って代わることであるが、経済学においては限界革命によっても当時の古典学派の経済学は一掃されず、すべてミクロ経済学に代わったわけではなく、ケインズ革命によってもミクロ経済学は一掃されず、すべてマクロ経済学に代わったわけでもなかった。つまり経済学における革命とは新しい考え方が登場したという程度なのであろう。それでもミクロ経済学においては一九二五年のピエロ・スラッファの論文に端を発する不完全競争理論の誕生やゲーム理論の導入、マクロ経済学においては外国貿易や為替を考慮したオープンマクロ経済学の登場などがあるけれども、これらは革命とは呼ばれていない。
すると経済学における革命とは新しい考え方と言っても、既存の理論の発展ではなく、それまでなかった新しい視点や枠組みの登場ということなのであろう。そう考えたとき、スラッファ革命と呼ばれたこともある一九六〇年のスラッファの『商品による商品の生産──経済理論批判序説』とそれに続く、サミュエルソンをも巻き込んだ一連の論争は、六〇年代から七〇年代にかけての大きな出来事であり、そこでは技術的な面だけが強調されたけれども、もしスラッファの真意が理解されたならば、やはり革命と見ることができるのではなかろうか。
というのはスラッファが呈示したものは、個別経済主体の経済行為を分析するミクロ経済学や、一国の雇用を増やし失業を減らすことを目指すマクロ経済学に対して、一国の生存・持続可能性を保証する条件を分析したものであり、個人の満足の最大化や企業の利潤最大化、雇用の創出を目的にする既存の理論とは違い、最初から国民の生存・持続可能性を目指したものだからである。これはスラッファによって新しい視点や枠組みが呈示されたと言えるのではあるまいか。
スラッファ革命は不発に終わったけれども、しかしそれと全く同じ考え方がおよそ二五〇年前、一七七六年のアダム・スミスの『国富論』出版の二年前に登場していたことはほとんどあるいは全く知られていない。ジャンマリア・オルテスの『国民経済学』がそれである。
この本でオルテスは持続可能なオープンマクロ経済モデルの推計を行っている。周囲を他の国に囲まれた人口三百万人の国が持続可能な生存をするためにはどれだけの財が必要で、それを生産するためにはどれだけの就業者が必要で、そこで流通する貨幣は金銀複本位制下ではあるもののどれだけかを、国民の生存という視点で推計したものである。これは後に国民経済計算、したがってマクロ経済学と呼ばれるものの先駆であるが、先駆であったがゆえに当時の人々に受け入れられず、酷評され、無視され、忘れ去られた。
一顧だにされなかったのは、世界初の経済学の教授と言われるジェノヴェージの経済学が当時学界を支配していたためもあろうが、経済が成長している最中に登場したために経済の生存などまともに取り上げられることはなかったのであろう。スラッファ革命が不発に終わったのもそのせいかもしれない。しかし持続可能な経済が問題になっている今だからこそまともに取り上げられるべきではなかろうか。それはスラッファも同様である。
スラッファの本は贅肉を削ぎ落とした本文百ページ足らずの小冊子のため、真意を読み取るのに苦労するのに対して、オルテスの本は、言い回しが難解、むしろ晦渋ではあるけれども、四百ページ以上に渡って詳細に説明している。オルテスを読めば、スラッファの真意を再確認できるかもしれない。
オルテスの『国民経済学』の翻訳は今夏刊行予定である。
[ふじい もりお/日本大学経済学部教授]