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縁切り一筋五〇年① 満徳寺資料館の「縁切り厠」──入館者確保の取組み

高木 侃

昨年10月に『写真で読む三くだり半』を日本経済評論社から出版したので、三くだり半研究余滴は一区切りついた。そこでテーマを昨年が三くだり半研究50年であったことから「縁切り一筋50年」として、やや気軽に縁切りのあれこれを書くことにした。
私の徳川時代の離婚研究のエポックは、研究対象であった縁切寺満徳寺の資料館建設であった。建設には当初から委員としてかかわり、開館の1992年度当初に館長に就任した。一番の難問はアクセスの悪さである。最寄り駅は東武伊勢崎線の世良田駅、そこから徒歩45分。バス・タクシーはなく、タクシーは隣駅か、またはJR高崎線深谷駅からの利用となる。
そこでなにか入館者の興味をひく目玉が必要だと苦慮していた。それには女性に関心をもってもらうことが肝要と、女性週刊誌からヒントを探ろうとずいぶん見た。そこから「縁結び」への関心の高さを感じ取り、縁結びとは真逆の「縁切り」に焦点を当てることにした。私は女性週刊誌の切抜きなどを用意して建設委員会にのぞみ、大阪の持明院と京都の清水寺にヒントをえた「縁切り・縁結び厠」を提案した。会議の雰囲気は冷笑を含んで決していいものではなかったが、これくらい思いきった発想でないとダメだと力説し、「縁切り厠」は了承された。「厠」の色は悪縁を切って白紙にもどす、良縁と朱(赤)い糸で結ばれている、という意味を込め、「白と朱」を注文しておいた。しかし、残念ながらできたものは白・黒であった。資料館が黒と白とグレイの建物であったこと、特注の朱の便器は相当に高額な故であった。
この「厠」は写真の通り、当初は実際に使用してもらうことを考えていた。しかし、団体には対応できず、資料館の収入には貢献しない。館長として10月開館までの半年間、熟慮を重ねた。思いついたのは、特殊な水溶紙に願い事を書いて流す専用厠である。「縁切り・縁結び札」はカバーに入れて販売することにした。カバーの内側には、持明院・清水寺の「厠」を紹介し、つづいてつぎのように説明がある。
「こうした昔からある縁切り俗信を、現代によみがえらせたのが当資料館の縁切り・縁結び厠で、……(物事の)白黒をはっきりさせて、自分の人生を一歩前進させていただきたいものです」と。最初から白黒だったことにした。そして「世の中のいろいろな悪縁と縁を切ることが幸せにつながります。その意味では、縁結びよりも縁切りの方が大事だともいえます」として、書き方の見本を示している。
独身と縁切り → 良縁と縁結び
悪夫・悪妻と縁切り→
      幸せな再婚と縁結び
不合格と縁切り→
   志望校・大学合格と縁結び
このほか、肥満、いじめ、借金、酒・タバコ・ギャンブルなど、いろいろな縁切りが考えられる。ちなみに縁切りの日は巳の日、縁結びの日は卯の日で、これは持明院の縁日にちなんだものである。とはいえ「思い立ったが吉日」で、いつでも来館してほしい。
札の流し方だが、受付で購入した札それぞれに願を書く。書くことで熟慮し、また冷静にもなる(書いただけですっきりしたと帰る方もいる)。書いた札は厠に持参し、縁切りは右の白の便器にそっと置く。すると間もなく文字だけ残して溶ける。レバーを押して流す。縁結びは左の黒に同じようにして流す。書くことと流すことの二つで踏ん切りがつくのである。
開館以来27年、「縁切り・縁結び厠」のおかげでリピーターも増え、入館者はアクセスの悪さにもかかわらず年間1万人を超えている。職員に聞くと、入館者の半数近くは札を流すだけで、何度も来ているせいか、館内を観ないで帰るそうで、せめて企画展開催中には展示を見てほしいと願っている。
直接来館するもよし、遠方からは郵送申し込みができる。まずはHPで。http://www8.wind.ne.jp/mantokuji/
[たかぎ ただし/専修大学史編集主幹・太田市立縁切寺満徳寺資料館名誉館長]