地方分権と政府間の政策競争

西垣 泰幸

地方分権改革の潮流は、国際的な自由主義・民主主義の一層の進展の中で、政府部門の規制緩和と効率化への動きとして1980年代に世界の国々に広がった。日本では、少し遅れて90年代になってからその機運が高まり、政策権限と税・財源の地方政府への委譲が推進された。20年に渡る歩みの中で、未だ十分とは言えないまでも、地方政府独自の政策を実行する基盤が一通り保証されるに至った。
地方分権の優位性については、古くから研究がなされてきた。分権的な政策決定により地域ごとの住民のニーズに対応できることや、住民や企業がより好ましい公共財やサービスを求めて地域を移動することにより地方政府間に競争的な関係が生じ、行政の効率化などが進み、住民の満足度が向上することがあげられる。さらに、政府と住民との距離の近さによる情報優位や、地域の居住選択を通した個人の選好表明メカニズムなどが考えられてきた。
これは「足による投票」モデルと呼ばれ、経済学の分野に留まらず広がりを見せている。その現実性については、アメリカでは実に一年に約16%の世帯が引っ越しをしているというデータがある(Rosen)。また、居住地選択の決め手となるのは教育、安全、福祉に加えて公園や公営のゴルフコースなどとする実証研究もある(Moffit)。例えば、ロサンゼルスの近郊には百を超える都市があり、それらの中には安全や福祉を売り物にする街や、子育て世代に向けて充実した教育を準備する街、さらには風光明媚な景色や公園などの住環境を売り物にする街もある。
これは伝統的な完全競争的想定の上に組み立てられたモデルであるが、一九八〇年代になると、情報の不完全性やゲーム理論的な相互依存関係を基礎とする研究が大きな比重を占めるようになった。そして、産業組織論や労働経済学において蓄積されてきた研究が、公共経済学の分野にも、特に地方財政の分野において応用されるようになってきた。地域間のヤードスティック競争モデルも、このような流れの中で発展してきた。
地域間ヤードスティック競争は、地方選挙を通じた政府と住民の契約を基礎としている。そこでの政府と住民の関係は、政府活動に関する専門的な知識を持たない(非対称情報の)住民を主権者(プリンシパル)とし、地方政府の首長や議員を住民のために行政サービスを代行する代理人(エージェント)と見る(プリンシパル=エージェント関係)。選挙において、住民が現職首長や議員の行財政パフォーマンスを、近隣地域の政府のそれを比較の基準(ものさし)として再選の可否を決めるなら、地方政府間に望ましい政策競争が生じ、選挙行動が地方政府を規律付け、行財政の費用削減や公共財サービスの満足度の改善が生じる。
そもそもヤードスティック(ヤード尺)という名称は、この理論のもとになった研究がイギリスにおいて行われたことによる。また、伝統的なモデルと異なる「利己的な政府」という考え方の妥当性については、例えば、OECDの統計には中央政府より地方政府の方が不正行為や汚職が起こりやすいことが示されている。加えて、地方政府の方が、よく組織された利益団体との「距離が近い」とする研究もある(Bardhan)。
このモデルの実証研究は、政策競争の結果公共支出や税率が横並びの似通ったものになるという特徴を検証するもので、多くの国において肯定的な結果が得られている。またアメリカでは、税率の切り下げ競争が現職首長の再選確率を高めるという検証結果がある。筆者のグループも日本の都道府県データに基づいて研究を行った。日本では、そもそも地方財政データは横並びの傾向が強いので、特定の支出項目と現職知事の再選確率に関する推計を行った結果、民生費の福祉項目の支出増が再選確率を高め、逆に、普通建設費の公共投資支出増が再選確率を低下させるという結果を得た。
これら二つの地方モデルの関係は、どちらが優れているかという択一的なものなのか、あるいは二つの側面を特徴的にとらえた並立的なものなのかは、さらなる研究の展開を待たなければならない。日本では高齢化・人口減少が本格化する中、中央政府の財政赤字が大きな問題とされている。財政システムの効率化を図り、住民の福祉を求めるためには、公共財・サービスを効率的なコストで、効果的に提供することが求められる。地方分権の一層の推進により、地方政府間の住民を引きつける競争的な関係性と、他地域が実施した優れた政策の「見せ合い」効果が相乗的に働くことを期待したい。
[にしがき やすゆき/龍谷大学教授]