神保町の交差点

 今から百年前、日本経済にひときわ抜きん出た企業成長を遂げ、世間の注目を集めた神戸の貿易商社・鈴木商店。最大の貿易商社であった三井物産に追いつき追い越そうとの野心に燃え、店主鈴木よねのもと、大番頭の金子直吉が指揮を振るい1917年(大正6年)、念願の目標を達成します。ここまでのぼりつめた巨大企業でありながら、それからわずか十年後の一九二七年(昭和二年)に「鈴木商店」は破綻してしまうのです。この期間に何があったのか、この経緯を知るすべは史料の発見となるのですが、鈴木商店関係の史料は散在し、まとまったものはなく、その実態は断片的に明らかにされるに留まっています。小説では、城山三郎著『鼠』(文藝春秋、1966年)、桂芳男著『商社の源流 鈴木商店』(日経文庫、1977年)や、玉岡かおる著『お家さん』(上・下、新潮社、2007年)などで鈴木商店がかれています。
 武田先生は、新たな一側面として銀行の資料から企業をとらえています。『横浜正金銀行資料』には、主として鈴木商店を対象としてまとめられた文書綴りが存在し、これを紐解くことで、金融機関が鈴木商店の経営をどのように見ていたのか、解明する糸口があるとしています。
 著者の言葉をかりれば、この本をきっかけに、「埋もれている史料群のなかから関心を引いたものを選び、そこから考えることのできる事柄を明らかにすることによって、こうした貴重な資料の可能性を示し、多くの研究者に感心を持ってもらいたい」、2016年9月頃から執筆の準備をされ、翌年の四月には原稿をまとめられました。「久々にワクワクして書いたよ」とも言われていました。是非とも、この「ワクワク感」を読者にお届けできればと思っています。
 二冊目は、『異端の試み──日本経済史研究を読み解く』です。武田先生は、「このタイトルが意味しているのは、どのような通説も、その発表当時は、異端者のささやかな試みから始まり、その当時の通説への異議申し立てであったこと、したがって、研究の発展自体が、このような異端の試みの積み重ねとして実現されていることを表現しています」。
 この本は、東京大学大学院経済学研究科で日本経済史・経営史の研究上の必読書について、大学院生との討論形式で一九九六年からおこなった講義録を基に、あらためて加筆修正を施し、近代編・戦間期編・産業史の方法とに分け、それに番外編を加えた全二七章となっています。この内容は、丸善雄松堂がオンライン配信している「ジャパンデジタルアーカイブズセンター」の「研究者のひろば」にも掲載されていました。是非ともご購読いただきたい書籍です。いたるところに武田節が効いています。
●前号でもご報告したアマゾンとの「直取引」の件(アマゾン側からの一方的な正味交渉)ですが、まだ具体的な解決策が見つからず攻防の真っ最中であります。 
 これは小社だけではなく、出版社の多くは直取引を拒んでいます。「直取引」を拒否し続けたことで、アマゾンは小社他多くの出版社に、クリスマス商戦の準備のためとの理由で、既刊本在庫の返品をしてきました。そのためか、アマゾンのホームページを見ると納期が延びている書籍が増加傾向にあります。
 昨今、ネット販売が利便性を支持され増加している中、リアル書店は止めるすべなく廃業の一途をたどっています。朝日新聞(8月24日)には、「出版取次大手によると、書店ゼロ自治体が香川を除く四六都道府県で、420自治体・行政区にのぼり、全国の自治体・行政区(一八九六)の二割強を占める」状況となってしまったとの記事が載りました。これは異常なペースであり、「文化拠点の衰退」と危惧される状態と言われながら、その解決策はまだ見えません。繁栄と衰退の狭間で、どう手を取り合い業界が共栄していけるのか、しばらくは大変な状況になっていきそうです。
●1977年に神田神保町に社屋を移転してから40年余となります。先代、先々代と出版業をこの地で営んできましたが、この11月に社屋を移転することといたしました。永き時間をこの神保町で過ごし、数多くの著者・書店の皆様に足を運んでいただきました。この神保町で、どれだけ本の企画が生まれたことか。後ろ髪を引かれる思いはありますが、新たな出発へと気持ちを切り替え、次の地に根を張る気持ちで行きたいと思います。新しい社屋は、神田駿河台一丁目になります。旧金華小学校(現お茶の水小学校)の脇にある小坂をのぼり、山の上ホテルを通り過ぎた右側に、青々とした緑のツタが絡まる壁が目印です。
 詳細なご案内は後日改めてお送りいたします。お近くにお越しの際はお立ち寄りくださいませ。 (僅)