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国際社会から世界を知る  ──『英国学派入門』上梓にあたって

池田 丈佑

『英国学派入門』という書籍を上梓する。英国を主な場として長く国際関係論を牽引してきた、バリー・ブザンLSE名誉教授による書の邦訳である。「国際社会(international society)」という考えを軸に世界を理解しようとする「英国学派」に焦点をあて、それがいかなる考え方なのか、理論としてどう発展し、一つの知としていかにグローバル化してきたのか、細かい目配りと大胆な主張をもって描いた一冊である。
国際関係論は、来たる2019九年に創設100年を迎える。学問に年齢があるとするなら、まだ若い領域である。理想論に過ぎ(E・H・カーの批判)、科学的でなく(H・モーゲンソーの批判)、冷戦の終わりを予測できなかった(J・L・ギャディスの批判)この学問は、結局他領域の議論の寄せ集めであり(B・ブザンとR・リトルの批判)、「男」の学問であり(A・ティックナーの批判)、「西洋近代」の産物(J・ホブソン他の批判)であった。だがそうはいっても、国際関係論のはるか以前から国際関係は存在してきた。その中心に戦争と平和の問題があり、国際関係論が戦争を防止し平和を打ち立てるために企図されたものである以上、世界をどうつかみ、理解し、その姿を示し、もって平和へとつなげてゆくかという問いは、国際関係論が過去100年抱え続けてきた、大きな課題であった。
英国学派はこうした課題に対する一つの回答である。その中心には「国際社会」という考えがある。私たちが毎日他人となんとかやっていっているように、国家も他国と毎日なんとかやってゆける──国際社会はそうした仮定からできている。それは国家間の暮らしを安定させ、国家間の関係をより公正にすることが目的である。そして私たちの世界は、これまで、外交制度や国際法、勢力均衡、時に戦争さえも貪欲に活用して、自らの社会を支え、そして回してきた。国際社会の営み(international life)こそ、国際関係なのである。
ただその上で、誤解を恐れずにいうなら、過去100年の国際関係論とは結局「アングロ・アメリカン」な学問であった。それは、この間、国際関係論が現実の国際関係のどこからもっとも影響を受けてきたかという問いへの答えでもある。加えて、人・モノ・カネ・サービスが自在に世界を行き来し、テロリズムや感染症、果ては隕石に至るグローバルな脅威に私たちが人類の一員としてさらされている現実を思うとき、2017年という時点での国際関係論として英国学派がどのくらい適切か、怪しむ人がいても不思議ではない。
ブザンももちろん気づいている。そして現代に起こる現実を認識している。ただ十分に現実を踏まえた上で、「国際社会」の可能性をあえて強調しようとしているのである。しかも彼は、英国学派が「英国の学問」にとどまらず、他地域でも共有され議論されることが大事だという。私たち翻訳チームは、ブザンの議論には乗り越えるべき点が多くあることを踏まえた上で、こうした方向性に対しては概ね賛成の姿勢をとっている。国際社会とは何か。その向こうには何があるのか。それを今学ぶことで、私たちは世界をどう知ることができるのか。そして世界の姿を知った上で、私たちは平和をどう打ち立ててゆけばよいのか。100年目の節目を間近に控えたこの時点で、ブザンの議論を通して世界の見方を学び、それを乗り越えるべく考え続ける努力を、一人でも多くの読者に体験してもらいたい。それは、陰鬱な世界ニュースが毎日の新聞を埋める現代にあって、やってよい努力だと思う。
最後に、この本を手にされるにあたってヒントのようなものを記しておきたい。この本は『入門』と銘打ちつつ、実はかなりな高みに私たちをつれていってくれる。山登り同様、登りきるためには準備が欠かせない。そこでまず、「訳者解説」を一読され、その上で本文を読まれることをお薦めしたい。手近に、専門用語の解説ができる大学等の先生がいるとなおよいだろう。一方読了された方は、やはり他の山に登りたくなるのと同様、次の本に向かいたくなる。その場合には、M・ワイト『国際理論』、ワイト&バターフィールド『国際関係理論の探究』(いずれも日本経済評論社、2007・2010年)、H・ブル『国際社会論』(岩波書店、2000年)、J・メイヨール『世界政治』(勁草書房、2009年)の各書を読まれることを薦めたい。国際社会を軸とした世界の姿が、より広く、深く、みえてくることであろう。
[いけだ じょうすけ/富山大学准教授]