鹿野思想史と向きあう

編者代表 黒川 みどり

野政直の名を歴史学界に一躍知らしめることとなった『資本主義形成期の秩序意識』(筑摩書房、1969年)が刊行されてから、はや半世紀近くになろうとしている。そして2007年から08年にかけて、1960年代末以後の、すなわちほぼそれの刊行後の作品を集めた『鹿野政直思想史論集』(全7巻、岩波書店)が刊行された。パンフレットには、「近代を問いつづけて」と題する次のような著者の問いが掲載されている。
わたくしにとって「近代」とは何だろう。その問いに発して、精神と秩序の軋みあいを追ってきた。「希望」としての近代を胸中に出発したが、高度経済成長期を経るなかで、「制度」としての近代という視野が開けていった。日本の近代は、わたくしたちをどのように嵌めこんでしまったのだろう。
そして、論集各巻の帯の大半には、まさに「近代」を問うことばが並ぶ。「もうひとつの近代への希求」/「「めざされた近代」と「嵌めこまれた近代」」、「心身を嵌めこむ「近代」の鋳型」といったように。
「学生として歴史学の分野にまぎれこんだ1950年前後は、いまから思えば戦後歴史学の高揚期に当る」と当該時期を振り返りながら、鹿野は、自らをその「第二世代に当る一人」と称し、そのなかにあって自分は「戦後歴史学〝体制〟」が「帯びてきていた〝権威〟性に、うまくわが身を合わせられないとの思い」を抱きつつ研究の歩を進めていったことを告白する(「まえがき」『思想史論集』第7巻)。
西岡虎之助・洞富雄・家永三郎の3人を師と仰ぐ鹿野は、とりわけ深い敬愛の念を抱く西岡の民衆史を継承しつつ、そうした自らが抱く「違和」をバネに、〝民草〟の主体的契機を「秩序への違和感」のなかに見いだし、戦後歴史学の内在的批判者の位置にあって、独自の思想史を構築してきた。そして、あらゆる場に成立する〝権威〟に抗い、「うちなる奴隷性」(『資本主義形成期の秩序意識』「はしがき」)を見つめ、疎外されている人びとの声を拾い上げ、現代日本のアクチュアルな問題に〝正対〟してきた研究者である。鹿野の学問研究の手法は、学会の主流に属さず、主として作品そのものをとおして読者に直接にはたらきかけるというものであった。おそらくはそのことも一因となって、鹿野思想史は、必ずしも研究者に限定されない幅広い層の読者を獲得してきたといえよう。
このように、鹿野思想史に影響を受けてきた人は多いが、民衆思想史研究者として鹿野と並び称せられる色川大吉や安丸良夫を論じた作品がすでにいくつか世に問われているのに対して、鹿野については、これまでほとんどなされてこなかった。鹿野思想史は、研究史に則って説きおこされるのではなく、〝わたくし〟すなわち個人的な〝経験〟を前面に押し出して形づくられているため、それが読み手を魅きつけ心に食い入る一方で、〝鹿野思想史〟を論じることの障壁を高くしてきたのだともいえよう。
しかしながら、ようやく最近、鹿野の研究についての史学史的言及もみられるようになってきた。そうして『思想史論集』の刊行がなされてから9年近くが経過した今、私たちも、それぞれに鹿野の研究に教えられ、触発されてきた立場から、それに応答してゆきたいと考えるにいたった。本論集のメンバーは、かねてから日本現代思想史研究会と称する小さな会に集ってきた人たちであり、そのなかには、鹿野に直接教えを受けた者もいれば、鹿野の聲咳に接する機会もほとんどなかった者もおり、また世代の幅も大きい。それだけに、それぞれの異なる立場から、自らの問題関心に引きつけて鹿野思想史を論じることとなり、むしろその多様な受けとめ方を示すことに、本論集のメリットがあるのではないかと考えている。
本論集は二部構成をとっており、「鹿野思想史の成立と方法」を論じる第一部と、「鹿野思想史の焦点/その問題群」を扱う第二部とからなる。第一部では、『資本主義形成期の秩序意識』にいたるまでのいわゆる前期鹿野思想史の確立過程と、鹿野思想史の方法や特徴などについて論じる。
第二部は、主に『鹿野政直思想史論集』に収められた作品群が対象となる。鹿野は、1960年代末の「明治百年」問題や〝学生反乱〟を機に、しだいに「戦後歴史学」からの離脱へと向かい、「主体としての「民衆」像」を打ち立て、沖縄と女性を軸に据えながら幅広い視野で大量の研究成果を生み出していった。本論集では、必ずしもそれらを網羅的にとり上げることはできていないが、大正デモクラシー、女性史、沖縄、「健康」観、兵士論、「個性」等をめぐって、それぞれ論じる予定である。
鹿野は、戦後歴史学のみならず、国民国家論におけるナショナリズムの問題や社会史、マイノリティ研究などにも問いを投げかけてきた。それゆえ、今、そのような鹿野思想史に立ち返ることは、我々による今日の歴史学の自己点検となろう。
鹿野は、まさに今「学問の自立(律)性」に自足する歴史学のありように対して、「普天間の問題に歴史学は、どうすればもっと寄与する途をみいだせるだろうか」と、歴史学の有効性そのものへの問いを突きつけている(〈思想の言葉〉「民衆思想史の立場」『思想』2011年8月)。そして、沖縄の闘いを「日本の問題」とするために、自らも街頭に出て、「傍観者でいることは加害者になることだ」との警告を発し続けているのである(〈講演〉「沖縄の問いにどう向き合うか」『わだつみのこえ』第145号、2016年11月)。論集の刊行が、そうした問いへの応答を喚起する一助にもなればと願う。
[くろかわ みどり/静岡大学教授]