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  • PR誌『評論』206号:三行半研究余滴 20 離縁状返り一札──夫は理由もなく一方的に妻を離婚できたか

三行半研究余滴 20 離縁状返り一札──夫は理由もなく一方的に妻を離婚できたか

高木 侃

今回は三くだり半ではなく、その受取書(領収書)を取り上げる。法制史ではこれを「離縁状返り一札」という。
まず解読文と写真(次頁)を掲げる。離縁状ではないので行数にこだわる必要はないが、七行半である。
     一  札
一拙者娘ひで義、九ケ年已前貴殿方 御世話ヲ以松坂魚町小津庄助殿方へ
 嫁置候処、此度離縁ニ相成、為暇金
 金子三拾両、衣類御添被下、慥ニ受取
 則親拙者方へ引取申候、然上は右 
 庄助殿方相続之義ニ付ては、向後 
 少も異論無之候、為後日差入申  
 一札依て如件
        いが町村
         ひ   て
        同親
  安政五午年  吉 兵 衛?
     八月
  荻 田 茂兵衛殿
  中 森 儀兵衛殿
  八丁屋 佐兵衛殿
本文の読み下しはつぎのとおり。
拙者娘ひで義、九ケ年以前貴殿方御世話をもって松坂魚町小津庄助殿方へ嫁置そうろうところ、このたび離縁にあいなり、暇金として金子三拾両、衣類お添い下され、たしかに受取り、すなわち、親拙者方へ引取り申しそうろう、しかる上は右庄助殿方相続の義については、向後少しも異論これなくそうろう、後日のため差入れ申す一札、よってくだんのごとし
松坂魚町も伊賀町村も、伊勢国松坂城下の町と村(現三重県松阪市)である。
本文書は、離婚婦がその父親と連名で、離婚に介入してくれた世話人三名に宛てたものである。まず、離縁になって暇金(離婚慰謝料)三〇両に添えられた衣類を受理したこと、その上で、先夫庄助の相続(再婚の意)には少しも異論はない旨をしたためた。
この種の「返り一札」は、まず妻方における離縁の承諾が第一義である。その典型的な例を掲げる。
    覚
一縁切証文   壱通
     〆
 右之通り慥ニ請取申候、以上
        桐生四丁目裏
  慶応四年 当人 み ん(爪印)
    辰二月 同所富屋家内
       立入人ま す◯印
   尾 じ ま
      梅 吉 殿
      定 吉 殿
妻からの離縁状の受取(離婚の承諾)は同時に夫にとっては、「離婚の確証」の意味を持った。
幕府法の公事方御定書の離婚と離縁状に関する規定には、離縁状なく再婚した妻は髪を剃り親元に帰されたとある。このことから、従来女性には離縁状が必要であったことが強調されてきたけれども、夫もまた離縁状を交付せずに再婚すると、 「所払」の刑罰が科されたことは看過されてきた。
離縁状が授受されるとき、「離婚の確証」という点では、離縁された妻には離縁状という離婚の証拠があるが、交付した夫にはない。もし妻がこれを隠して「離縁状を貰っていない」と訴え出ると、夫は離縁状を渡したことを立証しないと処罰された。そこで、妻に離縁状を渡すとともにその受取書、つまり返り一札を受理しておく必要があった(勿論、仲人等が離縁のことを証明してくれればそれで足りた──人的担保)。そうしておかないと、離婚 (とその後の再婚) に妻方から異議を唱えられかねなかったからである。
要するに、離縁状返り一札は、離縁の承諾が第一義であり、離縁状の上包の裏に返り一札の下案が書かれていた実例もある。これは離縁状とその返り一札とが同時に授受さるべきものと観念されていたためである。
ところで、離縁状返り一札は、妻方の承諾なしに受理することはできない。結局、夫が理由もなく一方的に妻を離婚できたわけではなかったのである。
[たかぎ ただし/専修大学史編集主幹・太田市立縁切寺満徳寺資料館名誉館長]