物資動員計画の射程

山崎 志郎

2012年に日中戦争期の総動員計画について『物資動員計画と共栄圏構想の形成』を刊行し、このたび続編にあたる『太平洋戦争期の物資動員計画』を刊行することになった。物動計画は戦時経済を専門に研究するものにとっても、扱いにくいテーマで、総動員諸計画の根幹を担うものであることはよく知られていたが、戦時経済研究の出発点であった戦略爆撃調査団報告でも、コーヘン『戦時戦後の日本経済上・下』(岩波書店)や東洋経済新報社『昭和産業史』全三巻でも計画そのものはほとんど取り上げられなかった。
戦時経済のマクロ的な研究では、主要産業の生産推移、就業人口の産業別構成などから満洲事変期からの重化学工業化が検証され、国民経済計算の推計によって国民総生産のピークと衰退が指摘されてきたものの、相互に精緻に組み合わさった総動員諸計画は明らかにされてこなかった。国立公文書館所蔵『公文別録物資動員計画等関係書類』には、企画院から閣議に提出された年度当初計画や総動員諸計画などが綴じ込まれているものの、実績がわからない計画が多く、部分的に改訂計画が残されていても改訂事情はわからないという残り方をしていた。計画の数字がどのように具体化されたのか、関係省庁の政策文書と突き合わせたり、状況変化に応じた政策推移や計画改訂作業を追うことができなかった。しかも年度当初の計画は戦後に集計された統計ともズレが大きいことが多かった。このため膨大な労力を投じた作業にもかかわらず、実体のない計画と誤解されることもあった。完膚なきまでにたたきのめされた敗戦という事実もあって、戦時経済研究では日本経済の脆弱性、政策運営の不合理性、帝国主義の暴走と破綻の必然性を実証することが主流になっていた。
総動員諸計画それ自体は、「自給圏」からの資源開発輸入や基礎素材の年間供給量を政策課題別に配当した物動計画を根幹に、軍需動員計画や生産力拡充計画、交通電力動員計画、労務動員計画、資金統制計画が整合するように組み立てられ実施されていた。政策の具体化過程が判明するようになったのは、1960年代から中村隆英氏、原朗氏が膨大な資料を発掘したことに依っている。また、企画院に出向した商工省官僚の美濃部洋次や鉄道省官僚の柏原兵太郎の資料が整理され、政策実態や計画改訂事情がわかる資料が公開されたことが大きい。それらを踏まえて原氏は1997年から資料集(『戦時経済総動員関係資料集』全五九巻、現代史料出版)を作成したが、本書の企画もこの資料整理と編纂への協力から始まっている。
本書では、「大東亜共栄圏」の開発輸入計画の策定事情や、物資配当計画から関連する個別産業の計画策定への接合部までの国内総動員政策を扱った。今後、戦時下の産業、労働、金融、物流事情の実態解明のため、物動計画に基づく原料配給や、労働力、資金の配分計画から関連事業への波及が分析されることになるだろう。近年の資料開示状況は、総動員政策を丹念に追いかけることを可能にしており、私が80年代初めに戦時経済研究を始めたころには、ワシントンにある戦略爆撃調査団報告の稿本に当たってみるくらいしか手がかりがなかったことを思うと隔世の感がある。
物動計画と接合した占領地域の実態解明では、既に新たな研究が出始めている。また、石炭、鉄鋼、非鉄金属、石炭、工業塩、パルプの需給計画が関連工業や代替材産業の動向を規定し、工業塩の需給計画がソーダ工業を通じて軽金属、人造石油、人絹パルプ、潤滑剤生産を規定し、軍需工業や化繊、石鹸といった消費生活を規定していたこと、石炭配給がほぼ全ての産業の稼働率を決定したことなど、産業連関的分析も可能になった。
近年の資料公開によって政策手法の精緻な分析が可能になり、統制団体の権能や、流通機構の簡素化、機械工業における銀行・企業間取引、雇用制度といったミクロ的な分析も盛んになった。戦時から戦後へのシステム社会への転換や、戦後システムの源流を解明するには、生産・流通・取引システム全体の実体解明が不可欠であり、それには物動計画とその周辺計画の関係や、計画具体化のための全プロセスの解明が求められる。
[やまざき しろう/首都大学東京]