『巨大企業と地域社会』を上梓して

筒井 正夫

今日、企業と地域社会は、様々な面で不可分な相互依存関係を結んでいる。企業が安定的な経営を維持していくためには、企業用地の確保はもちろん、人員・物資交流のためのインフラ整備、従業員子弟のための教育機関並びに治安・防災等の環境整備等々の面で地域自治体の協力が不可欠であるし、周辺地域社会も持続的な経済発展や人口維持、インフラや社会事業の拡充に必要な財源確保等のためにも企業は無くてはならない存在である。
もちろんそこには、協力関係だけではなく様々な対立や軋轢がみられることは言うまでもない。
本書は、こうした現代企業社会の原型である企業と地域社会の結合と反発の相互関係が、いつどのように形成され、その内実はいかなるものであったのかを、産業革命期にまで遡り、時の主要産業紡織業における巨大企業=富士紡績会社と周辺地域=静岡県小山町を事例に解明したものである。
本書が留意した観点は、度重なる恐慌や戦争、洪水・火災・伝染病の蔓延といった事態に直面するなかで、企業と地域社会の双方がそうした危機をいかに乗り越えて相互協力体制を構築していったのか、その先人たちの知恵と英知を幾多の試行錯誤の足跡を踏まえつつ明らかにしようとしたことである。
そうした観点から企業者側の経営体制と従業員の労務実態の双方に関して克明な分析を加えた。経営者や技術陣の人的系譜と企業理念、創業以来の熾烈な主導権争いの足跡、そして和田豊治という稀有なリーダーと配下の工場長や技師等中間管理職による経営改革の実態が克明に示された。  
その上で富士紡が営む綿糸紡績・綿布製造・絹糸紡績・絹布生産、水力発電という多様な事業に関して、生産・販売の両面について、紡連の操短政策への対応や内外市場条件の変化、技術革新と市場開拓等にわたって解明した。
労務環境分析では、利益金の職工・職員への分配制度という先進的事例や共済組合・企業内病院・託児所・社宅の運営状況、工場や寄宿舎の衛生改善、寄宿舎学校の運営、多様な企業行事の取り組みなど、従来明らかにされなかった実態に光があてられた。
富士紡進出に伴う地元社会の対応を検討すると、人口変化や商店街の形成、商業的農業の発展や地主小作関係への影響、町村行財政を動員した土木インフラ整備や拡大する小学校の整備、衛生・防犯・消防等の対応、それらの経費を賄うための増税や借入金、富士紡からの多大な援助、そして地元企業と自治団体を財政面で連結させる改正町村制のもとでの税制改革の意義にも言及した。
こうして両者の経済的関係が深まっていくなかで、日露戦後期には周辺行政村の分離と合併が進み、ついに富士紡の工場立地に即応した行政区域に町村合併が企てられて小山町が誕生し、その施政下に両者はさらなる協力関係を構築して相互発展を遂げていくこととなる。
しかし、この過程はけっしてスムーズに進行したわけではなく、富士紡と周辺地域の間には様々な軋轢と反発の関係が生じた。水利権や電気供給条件をめぐる対立、衛生環境整備と伝染病防遏策をめぐる対立、洪水対策をめぐる対立、さらに周辺地域では町村区域の再編や小学校建設をめぐっての対立も深まった。
このような諸対立を調整し共存共栄体制を構築していくために、時には複数の利用条件を交換し合ったりして、両者間の妥協が図られていった。こうした両者の間に立って妥協と調停を図り双方並び立つ関係構築に尽力したものこそ、地元の大小の名望家達であった。企業もそうした名望家達を役員に取り入れたり、社員を町会議員に送り込んだりして地域社会との円滑な関係を作り上げていこうとしたのである。
以上のような企業と周辺地域社会との多面的で複雑な相互依存と反発の関係は、粗密の度合いこそあれ、企業が進出した地域には多かれ少なかれみられた現象といえよう。そしてそれは、現在に至るまで形を変えながら継続しているのである。
本書を、研究者のみでなく、日々技術革新や経営・労務改革、災害復興や町おこし等、企業と地域社会の現場で奮闘されている方々に、歴史の証言として読んでいただけるならば、著者にとってこれに勝る喜びはない。
[つつい まさお/滋賀大学教授]