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「ふつうでない」歴史家の万華鏡  ──『色川大吉対談集 あの人ともういちど』を読んで

上野 千鶴子

色川大吉さんの対談集が出た。全部で17本、登場するのは19人。同業の歴史家、安丸良夫さんや鹿野政直さんから、作家色川武大さん、女優の高峰秀子さんまで多彩。テーマは歴史にとどまらず映画、民話、美術、沖縄、原発と多様。時期は1978年から最新の2014四年まで。著者の53歳から89歳までの対話の集積である。媒体は新聞から全集解説、出版社のPR誌に、勤務先の大学の学報、それに劇団の雑誌まで。人目にあまり触れない媒体に載ったものもある。タイトルの『あの人ともういちど』が示唆するように、物故者が19人中9人。女性比率は19人中5人。一番新しいのは、わたしとの対談である。自分が載っている本を書評するのはいささか面はゆいが、本書を読んで色川さんについて知らなかったことをいっぱい知った。400頁に近いハードカバーの本書は、少々お値段は高いが、ずっしりした中味からいえばおトク感がある。
色川さんといえば、水俣と縁が深い。石牟礼道子さんの懇請を受けて「不知火海学術調査団」を組織し、1970年代に10年にわたって現地入りをし、『水俣の啓示 不知火海総合調査報告書』(上下、筑摩書房、1983年)を著した。本書には、熊本日日新聞に掲載された二つの対談が収録されている。うちひとつは宮本常一さんとの対談で、編集長(当時)の平野敏也さんが司会に当たっている。この稀代の民俗学者との出会いは、50代の色川さんの気負いもあってか、本人も認めるように「噛み合っていない」。各対談に寄せられた色川さんの短い回顧メモが、おもしろい。女性史家の山崎朋子さんとの出会いにはなにやらエロスを感じるし、「文壇の権威」になっていた安岡章太郎さんに対しては、その権威主義に辛辣な評を浴びせる。
現代美術家の作品に「私のことなら彼に聞いて」というものがある。人が何者かは、関わった相手が語ってくれる。その意味で、対談というのは、話し言葉による気のゆるみもあって、相手によってホンネが引きだされてしまう怖い芸でもある。色川さんは、どんな相手からの投球にも受け答えしているが、逆にこれだけの対話を通じて、色川さんの多面性が相手によってあぶり出されてくる。それには、ご本人のいう「ふつうでない経歴」――兵役から引き揚げて、演劇人を経験したあと、遅咲きの歴史家になったが、その間も登山と中央アジアへの冒険旅行を止めず、市民運動に深く関わった――が影響しているだろう。
わたしはこの人と会ったときに、明治についてやたらと詳しいので、明治生まれか(生年から言ってそんなことはありえないが!)と錯覚したくらいだ。対談中なんと言ってもおもしろいのは、明治についてあたかも隣人の噂話をするように談論風発する歴史家とのやりとりだろう。いわば色川さんのホームグラウンドで、ホストを務めるケースである。
もうひとつ、市民運動家としての経験が鋭く生きているのは、原発と水俣について語りあった広瀬隆さんとの対談と、沖縄返還をめぐる新川明さんとの対談である。歴史家は「過去の墓堀人」であるだけでなく、未来への予言者ともなる。だからこそ、その発言の射程が問われるのだが、
「広瀬 あと百年後に、見事な大自然の中に鋼鉄製のドームがあって、何十キロにもわたって人が住めなくなっている。 
色川 老樹鬱蒼たる間にほの見ゆる原野が果てしなくひろがり…。 
広瀬 月光が霧に吸われて、白く差し込んでいる」
という黙示録的なビジョンには、心底、震撼した。死の土地と化した北の大地の光景が目に浮かんでくる。84年、チェルノブイリ事故2年前の対談である。最近、田中角栄を英雄視するブームが起きているが、角栄こそは原発列島を作った主犯であることを、ふたりは思い出させてくれる。
「このような政治を許してきているということは、われわれの次の世代に対する重大な責任だと思いますね。もし、この後も生きられるとしたら」と色川さんは言う。
ミナマタの後にフクシマを許した私たちは、次の世代にどんな責任をとればいいのだろうか。
[うえの ちづこ/立命館大学教授]