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「シリーズ沖縄史を読み解く」の完結にあたって

来間 泰男

「シリーズ」が完結した。当初の予定は全5巻であったから、巻数は一致しているものの、冊数はほぼ2倍の9冊となった。4つの巻が上下2冊となったためである。そして、「琉球処分前後」で終えようという目的は果たせず、日本の戦国時代・織豊期まで、沖縄の島津侵攻直前までにとどまった。この時点で、シリーズに取り組んだ動機と、今後のことをつづってみたい。
私の研究は、1968年に大学院(修士課程・農業経済学)に進み、そこで進行中であったアメリカ軍占領支配下の経済と農業について考えたことに始まる。日本の学者はまだ沖縄にはほとんど手を伸ばしていない。沖縄の学者はざっと10人前後はいたが、その研究成果には満足できなかった。いわば一人でもがきながらのスタートだった。
例えば、沖縄経済は「基地経済」なのか。今でこそ基地依存度が話題になり、それは「5%前後にすぎない」という「常識」が生まれているが、占領下当時は、一方に60%だという乱暴な議論がある中で、それらと格闘して、ほぼ20%だという結論を出した。しかし、数値だけで論ずべきものではない。私は「基地経済」とは何か、を論理的に定義した。
1970年に大学の職を得たが、2年後に沖縄は日本に復帰した。復帰は私にとって農村調査の大量受注をもたらした。国も、沖縄農業に向き合わざるをえなくなったからである。私自身、調査を通して到達したのは、次のような見解である。沖縄の経済と農業は、日本のそれと同様に扱うことはできない。そもそもの成り立ちの基礎が異なっている。そこに日本と同様の政策や制度が導入されても、同じようには機能しない。かといって、対案を示せるかといえば、それもむつかしい。私は「解釈」するにとどまった。
その「解釈」でさえ、容易ではない。ただ、それは、歴史に求められるだろう。私は歴史家ではないが、沖縄の歴史家たちと密接な接点を持ち続けていた。宮城栄昌、新里恵二、安良城盛昭、田港朝昭、仲宗根将二、金城正篤、安仁屋政昭、西里喜行、仲地哲夫らであり、同輩以下では上原兼善、高良倉吉、田名真之、真栄平房昭、豊見山和行らである。そのことは彼らの研究の様子を見ていたことになるが、中身に立ち入って吟味するようになったのはずっと後のことである。ただ、いくつかの違和感を持ち続けていたのは確かで、その違和感の克服を目指したのが、このシリーズの動機となっている。
このシリーズは、農業経済学を基礎に残しながらも、歴史学への転向過程にある私の作品である。農業経済学の中では、農政学から農業史学へと重心を移してきたとも表現できる。最終巻(第五巻)の「おわりに(沖縄史の特質)」で述べたように、沖縄には武士は生まれなかったし、戦闘らしい戦闘もなかった。それは、ある意味で幸運ではあったが、そのことが沖縄という社会に、日本とは異なる特質を与え、また与え続けている。その特質は、しかし積極的な意味を持った特質ではない。特に資本主義という競争社会での対応には不向きのものである。「だからそれを克服せよ」と言われても、なかなかむつかしいのであり、おそらく将来にわたって十全には克服できないであろう。資本主義社会は、簡単にいえば「弱肉強食」の社会である。その原理が正義とはいえまい。われわれはその原理から逃れることはできず、仕方なく許容し続けるほかに道はないと考えるが、正義ではないのである。
したがって、現代の資本主義は、その原理の貫徹を和らげ、原理からのはみ出し部門に手当てしようと動いているのである。公害対策は生産至上主義への批判から出てくるものであり、中小企業や農漁業への保護政策も、競争のみに任せておけない産業への手当てなのである。沖縄は、資本主義という競争社会では対等にやってはいけない。そのことに配慮した対応が必要なのである。
なお、シリーズは終わっても、私の研究と執筆は終わらない。引き続き、近世・近代・アメリカ軍占領支配下・日本復帰後と、引き続き、これまでの自らの研究・執筆の成果を見直しつつ、それを発展させる意気込みで、取り組んでいきたい。
[くりま やすお/沖縄国際大学名誉教授]