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東京経済大学百二十年史 資料編 第一巻

東京経済大学百二十年史 資料編 第一巻

  • 著者:東京経済大学百二十年史編纂委員会編
  • 定価:本体8500円+税
  • ISBN:978-4-8188-2573-4
  • 判型:A5判
  • 頁:962頁
  • 刊行:2020年11月
  • ジャンル:歴史人文・社会

内容紹介

前身の大倉商業学校創立から本年で百二十周年。通史編に先立って、設立構想から高等商業学校への昇格、戦時から占領期の経済専門学校に至る期間の資料を編集。

目次

『資料編第一巻』の巻頭挨拶 東京経済大学学長 岡本英男

 『東京経済大学百二十年史 資料編第一巻』刊行にあたって

学校法人東京経済大学理事長 菅原寛貴

 解題 東京経済大学史料室 友田昌宏

 凡例

第一章 開校前夜(~1900年)

第一節 商業教育と創設者の構想

1 大倉喜八郎『貿易意見書』(1886年4月)

2 「大倉喜八郎君の内地雑居準備談」(1898年5月10日)

3 「大倉氏の美挙」(1897年11月21日)

4 石黒忠悳「大倉商業学校設立発端」(1898年1月5日)

5 石黒忠悳日記(1898年1月)

6 伊藤博文書翰 田中光顕宛(〈1898年〉4月29日)

7 大倉喜八郎還暦・銀婚祝賀会における渋沢栄一・渡辺洪基・石黒忠悳の挨拶(1898年5月23日)

8 大倉喜八郎還暦・銀婚の祝宴における伊藤博文の演説(1898年5月23日)

9 「大倉氏商業学校創立の主意〔渋沢栄一・渡辺洪基・石黒忠悳より〕」(1898年5月24日)

10 大倉夫婦・家族および大倉組社員に対する石黒忠悳の祝辞(1898年5月25日)

11 「大倉喜八郎氏の義俠」(1898年6月15日)

12 「大倉喜八郎氏の名誉」(1898年8月25日)

13 「THE MARQUIS ITO ON COMMERCIAL EDUCATION」(1898年7月11日)

14 横山源之助「富豪の義務を論ず」(1899年3月1日)

15 「石黒男爵曰く」(1902年11月9日)

第二節 財団設立と校地問題

16 「大倉商業学校」(1898年6月21日)

17 「大倉商業学校の成行如何」(1898年9月5日)

18 商業学校設立につき官・民有地交換の件(1898年12月1日)

19 「石黒忠悳下駄屋に平身低頭す」(1917年11月15日)

20 大倉商業学校の財産目録、および寄附行為規則証書につき届書(1899年11月)

21 石黒忠悳書翰 渋沢栄一宛(〈1900年〉12月13日)

第二章 大倉商業学校時代(1900~19年)
第一節 大倉商業学校誕生 

第一項 学校設置関係書類

22 「大倉商業学校設置認可書交付ノ件」(1900年7月9日)

23 「財団法人大倉商業学校規則中改正ノ件」(1901年1月9日)

24 「徴兵令上等位認定願進達〔大倉商業学校より徴兵令第一三条認定願につき文部大臣へ進達〕」(1901年5月30日)

25 「文部省告示第百三十七号〔大倉商業学校、徴兵令第一三条により認定〕」(1901年6月28日)

26 「指令送付案〔財団設立認可に関する書類一式〕」(1902年4月18日)

27 「私立事業学校学則ノ一部変更ノ件〔年度変更とそれにともなう在学者への措置について〕」(1903年7月9日)

28 「官有地特売 大倉商業学校 赤坂区葵町」(1904年1月13日)

29 「進達願〔大倉商業学校規則改正につき文部省へ〕」(1905年4月19日)

30 「禀申書送付案〔大倉商業学校より学則改正稟申書提出につき〕」(1908年9月19日)

31 大倉商業学校規則修正の認可出願につき文部大臣への進達願(1915年8月28日)

32 「大倉商業学校学則改正ノ件」(1916年12月22日)

33 「私立大倉商業学校学則中変更ノ件」(1919年3月11日)

第二項 メディアが報じた大倉商業学校

34 「大倉商業学校の開校」(1900年1月21日)

35 大倉商業学校生徒募集広告(1900年7月29日)

36 大倉商業学校の志願者多数を報ずる報道(1900年7月29日)

37 「大倉商業学校入学者」(1900年8月22日)

38 葵町・葵の岡および大倉商業学校の紹介(1903年1月25日)

39 大倉商業学校の紹介(1907年3月13日)

40 「銅像の流行」(1913年6月13日)

41 「私立大倉商業学校沿革」(1906年1月31日)

第三項 創設者の演説・書翰

42 「大倉商業学校開校式に於ける青淵先生〔渋沢栄一〕の演説」(1900年9月1日)

43 「大倉商業学校生徒ニ告グ〔大倉喜八郎演説〕」〈1900~1901年〉

44 「大倉商業学校卒業証書授与式に於て〔大倉喜八郎演説〕」(1904年4月5日) 

45 大倉商業学校創立一〇周年紀念式における立花寛蔵の演説(1910年10月23日)

46 大倉商業学校創立一〇周年紀念式における石黒忠悳の演説(1910年10月23日)

47 大倉粂馬・時子書翰〔写〕 石黒忠悳宛(1919年3月1日) 158
第二節 教科書と教員

48 「教科書採定ノ件指令按〔理事石黒忠悳より大倉商業学校教科用図書採定の件申請につき認可〕」(1901年5月28日)

49 「図書認可指令案〔大倉商業学校督長事務取扱石黒忠悳より教科書採定認可願、認可〕」(1901年8月23日)

50 「図書認可指令按〔石黒忠悳より大倉商業学校教科用図書使用願認可〕」(1902年4月28日)

51 「指令案〔大倉商業学校督長事務取扱石黒忠悳より教科用図書改正追加願、認可〕」(1902年9月10日)

52 「通牒按〔甲種程度実業学校における学科目等に関し文部省より通牒につき大倉商業学校他へ通牒〕」(1902年6月6日)

53 「指令案〔大倉商業学校督長石黒忠悳より教科用図書採定の件願、認可〕」(1903年4月4日)

54 「指令按〔大倉商業学校校長立花寛蔵より教科用図書中改正採定願につき、認可〕」(1909年6月3日)

55 「実業学校教科書ノ件〔大倉商業学校校長立花寛蔵よりの改定の儀認可〕」(1910年5月9日)

56 倉西松次郎書翰〔写〕 小谷野敬三宛(1900年8月21日)

57 高等商業学校教授小谷野敬三の英語科教授依頼につき認可(1901年5月3日)

58 「戦時禁制品等ニ関スル法規公布ノ件〔日露戦争中の戦時禁制品につき大倉商業学校主事立花寛蔵の問い合わせ〕」(1904年3月4日)

59 「文壇はなしだね〔大倉商業学校における岩野泡鳴について〕」(1909年1月9日)

60 「私立大倉商業学校職員」(1906年1月31日)

61 川上三太郎「蒼蒼亭小話〔大倉商業学校での岩野泡鳴につき〕」〈1900年代後半〉

62 長岡擴「英国通信」(1912年10月4日)

第三節 商業学校時代の生徒 

第一項 公文書にみる生徒

63 「清韓両国留学生調報告ノ件〔清韓両国留学生調査に関し文部省へ報告〕」(1905年9月29日)

64 「〔東京市内専門〕諸学校学生調ニ関スル件〔文部省へ回答〕」(1906年5月9日)

65 公私立各学校の職員及び生徒員数調査の件、文部省より照会につき、調査の上回答(1912年8月19日)

66 学校生徒数取調につき東京府内務部より照会につき回答(1914年5月6日) 

67 「進達願〔大倉商業学校卒業生・佐藤薫、検定試験受験志願につき〕」(1911年5月3日)

第二項 生徒たちの活動
68 ジョン・B・マイルズ「日英同盟の緊着〔西村五郎訳〕」(1905年8月13日)

69 大倉発身「English and Japanese」(1905年10月25日)

70 村田泰三郎「昌図旅行誌」(1906年8月1日)、「満州旅行記」(1906年7月21日~8月14日)

71 中溝英次「満州旅行営口の一日」(1906年8月4日)

72 西島徳太郎「安東県」(1907年7月頃)

73 川上幾次郎「上海日記〔「南清修学旅行雑記」より〕」(1910年7月)

74 井上米三・金田生蔵・榎本卯之助・後藤富蔵「南清旅行上海記〔「南清修学旅行雑記」より〕」(1910年7月13日~同月19日)

75 山本忠輔・畑口浅太郎・真山芳之助・渡部義雄「南京博覧会〔「南清修学旅行雑記」より〕」(1910年7月17日)

76 島村鴻司「休暇日誌」(1913年3月21日~4月6日)

77 西川喜一郎「第六日(雨の大邱)〔「朝鮮修学旅行記」より〕」(1915年9月7日)

78 福島俊彦「第七日(朝鮮と人蓼)〔「朝鮮修学旅行記」より〕」(1915年9月8日)

79 佐藤昇寿「第十日(京城府中見物─朝鮮銀行)〔「朝鮮修学旅行記」より〕」(1915年9月11日)

80 土屋楠二「第六日(京城入)〔「鶏林跋渉紀行」より〕」(1918年7月30日)

81 栗本寿雄「第七日(京城滞在の二日目)〔「鶏林跋渉紀行」より〕」(1918年7月31日)

82 伊賀山栄三「第十日(平壌─釜山)〔「鶏林跋渉紀行」より〕」(1918年8月3日)

83 野村清月「わが校の記」(1905年2月16日)

84 松本金次郎「在校時代」(1927年7月18日)

85 川上三太郎「散りぬるを わが青春記〔「蒼蒼亭雑話」より〕」〈1900年代後半〉

86 久米武夫「量より質・半数近くが落第 鉄道馬車があつた頃」〈1910年頃〉

第三項 卒業生の活動

87 立花寛蔵「校友会発会式に於て」(1904年3月7日)

88 「校友会規則摘要」(1905年8月)

89 「卒業生消息」(1914年7月22日)

90 「大倉商業学校同窓会規則」(1911年3月)

91 加藤貴吉「台湾より」(1910年6月29日)

92 山崎信一「朝鮮より」〈1910年8月〉

93 萩原英一「シドニーより」(1910年9月30日)

第四節 大阪大倉商業学校と善隣商業学校

94 「大倉喜八郎氏古稀祝賀記念 実業学校の創設」(1906年10月21日)

95 「大倉組の大阪商業学校」(1907年4月23日)

96 大阪大倉商業学校設置認可の告示(1907年4月29日)

97 大阪大倉商業学校開校式における小山健三の演説(1907年10月23日) 

98 「大倉氏の韓人教育」(1906年3月21日)

99 大倉喜八郎書翰 伊藤博文宛〈1907~1908年〉

100 善隣商業学校へ土地無償下付につき通牒(1908年6月23日)

101 「大倉喜八郎氏は何のため韓国へ行たか」(1908年11月22日)

102 善隣商業学校を文官任用令により認定につき告示(1910年2月23日) 

103 石黒忠悳書翰〔抄〕 寺内正毅宛(1912年11月28日)

第三章 高等商業学校昇格(1920~36年)

第一節 高等商業学校への昇格

第一項 学校設置関係文書

104 「大倉商業学校組織変更〔昇格〕ノ件」(1919年12月3日)
5
105 「文部省告示第二五五号〔大倉商業学校改称の認可の件〕」「文部省告示第二五六号〔入学者を中学校卒業者同等以上の学力と指定の件〕」(1919年11月29日)

106 「学校認定ノ件〔大倉高等商業学校、中学校同等以上に認可につき〕」(1920年4月12日)

107 「文部省告示第二二六号〔文官任用令第六条により認定の件〕」(1920年4月13日)

108 「大倉高等商業学校、右(夜学部ヲ除ク)卒業者ニ対シ簿記、商事要項ノ科目ニ対シ無試験検定ノ取扱ヲ為スノ件」(1923年8月10日)

109 阪谷芳郎書翰 渋沢栄一宛(1923年9月20日)

110 本校舎一部移転につき文部省への報告(1923年11月26日)

111 大倉高等商業学校罹災状況に関する記事(1925年3月20日)

112 「煉瓦造被害報告書〔大倉高等商業学校校舎および機関室〕」(1926年10月)

113 英米留学につき立花寛蔵より関太一への心得(1926年12月13日)

114 「大倉高商高等商業科及夜学科生徒定員変更並夜学普通科学科課程中変更許可」(1925年3月30日)

115 「文部省告示第二三四号〔大倉高等商業専門学校を大学予科と同等以上に指定の件〕」(1926年4月8日)

116 青年訓練所規定第八条による認定適用の件(1926年12月7日)

117 「大倉高等商業学校学則中改正認可」(1927年10月25日)

118 「学則改正認可」(1929年7月8日)

119 「学則中一部変更ノ件認可申請」(1936年10月5日)

120 「昭和参年度予算原案」〈1928年〉

121 「昭和参年度決算調」〈1929年〉

122 「生徒ノ左傾思想取締ニ関スル件」(1924年5月13日)

123 川口酉三書翰〔写〕 大倉高等商業学校講師宛(1931年5月14日)

124 協議員会議事録(1936年3月23日)

125 大倉粂馬・松下久治郎の寄附金財産調書および収支予算〈1930年〉

第二項 学校関係者の演説・書翰
126 大倉喜八郎「始業式祝辞」(1920年1月9日)

127 石黒忠悳「本校の由来」(1920年10月24日)

128 立花寛蔵「沿革及教育方針」(1920年10月24日)

129 「大倉鶴彦翁最後の訓話」(1928年1月9日)

130 門野重九郎「大倉魂」(1930年10月25日)

131 川口酉三「就任の辞」(1927年4月14日)

132 卒業式における石黒忠悳の祝辞(1935年3月17日)

133 「川口校長職を辞し古館氏任を襲ふ 新進の気学園に漲る」(1936年4月25日)

134 松下久治郎五〇万円寄附の経緯(1924年10月)

135 大倉喜八郎書翰 立花寛蔵宛(1927年2月14日)


第三項 メディアが報じた大倉高商

136 「新高商の意気 昇格をした大倉商業学校」(1920年7月4日)

137 立花寛蔵「大倉高商の入学者と将来」(1922年2月1日)

138 「大倉翁遂に逝く」(1928年4月23日)

139 「他校に率先して無試験制度撤廃 五年度より実施」(1930年1月25日)

140 「今学期より成績通知書交付 父兄保証人の要望を容れて」(1931年9月25日)

141 「時節柄注視さるゝ学校教練偏重の傾向 波紋は各方面へ」(1932年11月30日)

142 「財政難により海外留学絶望 復活要望さる」(1934年7月25日) 

143 「来年度入試より本校も日本歴史を加入 既に教授会で決定 官立高商でも同様決定の筈」(1934年7月25日)

144 「授業料滞納者に登校禁止の鉄槌下る」(1934年9月25日)

145 「学生証を制定せよ 学籍を明かにする為」(1935年6月25日)

146 「世情そのまゝを現出して入試戦線混沌たり 本校受験者激増す」(1936年4月25日)

147 「戒厳令下の学期試験 一時混沌に陥る」(1936年4月25日)

148 「学園の二大懸案 その後の情勢如何? 商大問題は俄然好転 学校移転は依然困難か」(1933年6月25日)

149 「飛べ!蹴れ!走れ!多年の宿望遂に成り 総合グラウンド月島に建設」(1935年9月25日)

第二節 カリキュラムの再編と軋轢 458
150 「大倉高等商業学校学則並ニ夜学学科規程中改正認可」(1926年1月21日)

151 「学則変更認可〔毎週授業時数の軽減等〕」(1929年3月1日)

152 「学則中改正認可〔時間数の変更、科目の改称等〕」(1930年4月30日) 

153 「本校ノ学科目及各学科目ノ毎週授業時間」(1937年)

154 「来学期から講師の大移動 選択科目も決定」(1930年3月25日) 

155 「学制改革を図り授業科目大変更か 沈滞せる空気刷新のため目下当局を中心に考究中」(1932年12月25日)

156 「学制改革 結局龍頭蛇尾?」(1933年1月25日)

157 「全学生の要望を担ひ 先づ調査書を発送 科目調査委員会の活動」(1936年1月25日)
6
158 「行く行くは二部制度撤廃か? 志願者の減少と成績不良に鑑み」(1934年4月25日)

第三節 デモクラシーの時代と大倉高商

第一項 葵友会と学友会

159 「同窓会大会記事」(1925年9月1日)

160 立花寛蔵「本会の革新に就て」(1925年9月1日)

161 「改革の要旨〔葵友会の改革〕」(1925年9月1日)

162 坂本英「満洲に於ける同窓の消息」(1927年4月21日)

163 「葵丘三十年史の異彩 全国嚆矢の自治制確立 「大倉維新」の名に恥ぢず 全面的合法性を期す」(1930年4月26日)

164 「大倉高等商業学校学友会会則」(1930年6月)

第二項 東京商大連絡問題と「紛擾事件」

165 「学校当局の無能暴露す 依然として開かぬ東京商大との連絡」(1930年11月25日)

166 「大倉高商でも紛擾を起す 学生側に先手をうつて当局五日間の臨休発表」(1930年12月7日)

167 「大倉高商盟休決議 きのふ学生大会を開き」(1930年12月12日)

168 「地方出の学生は帰省御勝手 大倉高商の騒動 いよ〳〵悪化」(1930年12月13日)

169 「未曾有のレコード 世の視聴を惹きたる退学処分問題 在学生の冷静な態度で授業開始と共に平穏」(1931年1月25日)

170 川口酉三「昭和五年末ノ本校紛擾事件顚末報告書」(1931年2月10日)

171 「好転した─商大連絡問題 特別委員を挙げて学則の変更を計る筈」(1931年2月25日)

172 騒擾問題につき葵友会会員有志の要望書〈1931年2月頃〉

173 東京商大連絡騒擾につき葵友会会長よりの報告書(1931年2月3日)

174 「大同学院東京商大との連絡成り 愈正式に発表さる」(1933年12月25日)

175 「稟申〔塚本・中務二教授の解職につき川口酉三より阪谷芳郎あて〕」(1935年3月22日)

176 「開申書〔塚本・中務両教授および加藤講師解職につき葵友会会員へ〕」(1935年4月)

177 「危機に頻せる大倉高商 正義の士は来れ」(1935年4月11日)

178 解職につき塚本文治の抗議文(1935年5月7日)

第三項 学生生活と学生団体

179 増井修一「研究室の窓より〔アジアの経済事情に関する催しにつき〕」(1925年3月1日)

180 支那事情講習会開催につき通知(1925年8月10日)

181 「御願書〔東亜事情研究会からの経常費許可願〕」(1925年)

182 「経済研究会補助金下附願」(1926年3月8日)

183 大倉高商新聞部書翰 渋沢栄一宛(〈1928年〉4月8日)

184 大倉高商新聞部書翰 渋沢栄一宛(1930年10月8日)

185 大倉高商水泳部・陸上競技部書翰 渋沢栄一宛(〈1931年〉6月10日)

186 「二年生を先導に突如食堂排撃 夜学生も参加してボイコツト徹底す」(1930年4月26日)

187 「思想問題を契機とし 大倉学会遂に廃止」(1930年5月25日)

188 関英二「満洲旅行調査報告」(1933年10月25日)

189 「英語劇大会 来月下旬飛行会館で 脚本配役、既に決定」(1933年10月25日)

190 「盛況だつたハーモニカ演奏会 ステーヂを飾る 花輪五つ 次はXマスの集ひに出演」(1933年12月25日)

191 KY生「本会〔広告研究会〕の歴史と予定」(1934年5月10日) 

192 「当世大倉ボーイ打診 非常時風景は此処にも」(1934年6月25日)

193 「日米学生会議開催 文化問題に意見交換 本校からは七名出席」(1934年6月25日)

194 「街に大倉高商の評判を訊き歩く」(1935年1月25日)

195 「春風受けて 新高商生第一課 大倉生活バラエテイ」(1935年4月25日)

196 「愈々加はる権威 自治学友会の力強き歩み」(1935年6月25日) 

第四節 学校の拡充 541
第一項 夜学の拡充
197 「大倉高等商業学校夜学科規程改正ノ件」(1921年9月27日) 

198 「大倉高等商業学校学則中変更ノ件」(1922年12月10日)

199 「大倉高等商業学校夜学科規程中改正」(1926年9月23日)

200 「夜学科規程改正認可」(1929年3月13日)

201 「学則変更ノ件」(1931年4月6日)

202 「大倉高等商業学校学則変更ノ件」(1931年6月5日)

203 大倉高等商業学校夜学中等科を大倉高等商業学校中等科と改称認可(1932年3月14日)

204 「甲種程度夜学普通科 大倉高商で新設する」(1923年2月15日) 

205 川口酉三書翰 渋沢栄一宛(1931年4月2日)

206 「夜学科、三期制確立す」(1931年6月30日)

207 「夜学の名称を廃し中等科独立?」(1931年7月15日)

208 「中等専修科校友会 愈々新学期より確立」(1932年7月25日) 

209 藤井五郎「学内雑記(回想風に)」(1936年1月)

第二項 関連学校

210 「内地人生徒を逐ひ出せと 鮮人生徒盟休す 善隣商業鮮人生徒百五十名 五ヶ条の決議を迫る」(1921年6月21日)

211 大倉喜八郎書翰 斎藤実宛 (1924年4月1日)

212 大倉喜八郎書翰 斎藤実宛(〈1924年〉9月1日)

213 善隣商業学校における大倉喜八郎の訓話(1926年1月1日)

214 「学校巡礼 善隣商業学校」(1935年5月)

215 「善隣商業 本校に来訪」(1936年4月25日)

216 田代仲次郎書翰 大倉喜七郎宛(1935年2月23日)

217 田代仲次郎書翰 本宿家全宛(1935年4月2日)

218 山崎時彦「きびしい大倉〔大阪大倉商業学校の思い出〕」〈1929年頃〉

219 「大阪大倉商業学校」〈1934年〉

第四章 戦争と復興(1937~48年)

第一節 戦時体制と学校(中等科の改組、大倉経済専門学校)

第一項 戦時体制下の学校

220 「大倉高等商業学校学則中改正ノ件」(1937年8月9日)

221 「校地拡張許可」(1940年3月9日)

222 「中等科規程改正の件〔青年学校施行規則への対応〕」(1941年4月21日)

223 「青年学校令施行規則第三十二条第二号ノ規定ニ依ル認定施設告示ノ件」(1941年7月15日)

224 「大倉高等商業学校臨時補習科規則制定の件認可」(1941年12月8日)

225 「修業年限短縮ニ伴フ臨時措置ノ件」(1941年12月3日)

226 「臨時短縮ニ伴フ規則制定ノ件」(1942年2月14日)

227 「修業年限ノ臨時短縮ニ伴フ授業料増徴認可」(1942年5月8日)

228 「学則中改正認可〔学科表の改正〕」(1942年5月12日)

229 「授業料増額認可」(1942年10月3日)

230 「大倉高等商業学校中等科を東京大倉商業学校と改称認可」(1943年2月17日)

231 「中等科の専修科廃止の件〔中等科規則変更を含む〕」(1943年3月31日)

232 「大倉高等商業学校を大倉経済専門学校と改称並学則中変更許可」(1944年5月6日)

233 阪谷芳郎書翰 大倉粂馬宛(1939年11月21日)

234 「内申書〔古館市太郎より阪谷芳郎宛、戸田レースコース沿岸分譲につき〕」(1940年8月)

235 「昭和十一年度協議員会議事録」(1936年5月25日)

236 「大倉高等商業学校昭和十二年度収支決算書」(1938年)

237 古館市太郎書翰 遺族・葵友会副会長・相談役・理事宛(1943年10月12日)

238 「教育ニ関スル戦時非常措置方策ニ関スル件開申」(1943年10月30日)

239 「教育ニ関スル戦時非常措置ニ関スル件」(1943年11月18日)

240 「教育ニ関スル戦時非常措置方策ニ基ク学校整備ニ関スル件」(1944年1月20日)

241 「昭和十九年度入学試験、授業開始期日等ニ関スル件」(1944年2月7日)

242 入学試験の際の空襲警報に対する処置(1943年3月16日)

243 「防空態勢整備状況調査ニ関スル件」(1944年6月24日)

244 「昭和二十年度定時協議員会決議録」(1945年5月)

第二項 校地の供用

245 「契約書〔東京師団計理部への赤坂校舎一部転用〕」(1944年4月27日)

246 「学校施設使用ニ関スル件回答」(1944年12月26日)

247 「契約書〔東部第三部隊との小作校地貸借契約〕」(1945年3月22日)

248 「学校々舎転用ニ関スル件」(1945年4月1日)

249 「学校々舎転用ニ関スル件照会」(1945年4月14日)

250 「戦災ニ依ル校舎焼失ニ関スル件報告」(1945年6月11日)

251 罹災状況につき文部省への報告(1945年8月27日)

第三項 校舎改築運動と大学昇格論

252 田中金重郎「校舎改築運動を起せ」(1936年4月25日)

253 「校舎改築運動進展 資金募集に著手 一口五十円・五年分割払」(1937年7月25日)

254 「校舎改築ニ関スル審議案」〈1937、8年頃〉

255 「昭和十三年度定時協議員会議事録」(1938年5月10日)

256 古館市太郎書翰〔写〕 大倉喜七郎宛(1939年4月)

257 昭和十四年度協議員会議事録(1939年5月4日)

258 昭和十五年度定時協議員会議事録(1940年5月9日)

259 「相次ぐ寄附申込 忽ち一千口突破 校舎改築へ 集る熱誠」(1940年7月25日)

260 「年頭阪谷男は語る」(1940年1月25日)

261 「国家有用の材たれ〔大倉喜七郎の演説〕」(1940年10月30日)

262 渡辺輝雄「逬出する学園の愛校心 大倉を大学にしよう」(1942年5月14日)

263 「大学昇格に就て」(1942年6月25日)

264 「昭和十七年度定時協議員会議事録」(1942年5月27日)

265 「決議〔卒業生より門野理事へ商科大学昇格の嘆願〕」(1942年7月18日)

266 「教授会議事録〔大学昇格に関する卒業生からの要望につき〕」(1942年8月17日)

第四項 『大倉高商学報』が報じた戦時下の学校

267 「窄き門に喘ぐ入試の聖戦」(1938年4月25日)

268 「激戦必至の“窄き門” 入学志願者三千名を突破せん」(1943年2月25日)

269 「無くなる専修科 学制改革で自然廃止」(1943年2月25日)

270 「石黒忠悳子爵銅像 大東亜戦へ応召 立花校長像も」(1943年6月25日)

271 「小作錬成道場落成す 多摩に磨く若人の心 運動場建設著手も近し」(1942年6月25日)

272 「質問調査結果に基き 科目改正実施の第一歩 来年度には確立を見ん 実業教育の「実際化」へと」(1938年4月25日)

273 「新学年度学科課程決る 実業教育の振興に対処 二年には特に演習制度採用」(1942年3月27日)

第二節 戦時下の学生

第一項 学生生活と学生団体

274 「編輯後記」「去りゆく諸君に」「巣立つ我等」(1941年12月)

275 「編輯後記」(1942年12月)

276 「編輯後記」(1943年9月)

277 「卒業アルバム編輯後記」(1944年9月)
278 「伊豆地方陸海軍傷病兵等の為 本校学生遥々音楽慰問遠征 休暇中の隠れた働き」(1938年4月25日)

279 「第三十八回創立紀念日 時局重大の秋柄 一切の祭催廃止さる 文化記念日への転換を期待」(1938年10月25日)

280 「初の台湾出身者 見事難関を突破 喜びの二君は語る」(1939年5月25日)

281 「現状報告〔東亜事情研究会〕」(1939年7月7日)

282 「日米学生会議に初の代表者派遣 頑張れ藤本君」(1940年6月25日)

283 「伝統の学友会解散 報国団結成近し 新綱要学生側意見一致」(1940年10月30日)

284 「「戦時学徒自戒五条」成る 学風の振興、生活の刷新に」(1942年1月25日)

285 新入生歓迎行軍実施の件(1943年4月16日)

286 「休刊の辞」(1944年4月30日)
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287 「学生生徒ノ年齢調査ニ関スル件」(1944年10月30日)

第二項 集団奉仕作業から勤労動員へ

288 「本校の集団勤労作業 具体案本月末に決定せん 作業場は東海道二宮附近か」(1938年6月25日)

289 「出征軍人遺家族に 農事労働奉仕 於湘南鷹取山南麓」(1938年7月25日)

290 「夏休みも近づく頃 二大鍛錬行事発表」(1941年6月25日)

291 「教授会議事録〔諸行事の計画〕」(1943年7月22日)

292 「夏期学徒動員計画 従来の因習を一擲 生産戦ヘ学徒出陣 一部は北辺の地へ」(1943年7月25日)

293 学徒勤労動員につき文部省へ報告(1943年11月2日)

294 「勤労奉仕終りて 静岡県下」(1944年4月30日)

第三項 学生と戦時体制

295 「時局の要請に応へて 学徒いよいよ第一線に 在学修業年限短縮」(1941年10月25日)
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296 「学期短縮に対処 七時間授業始まる」(1942年1月25日)

297 「初の空襲警報下 本校防空隊出動す」(1942年3月27日)

298 「十月入営を前に 卒業式繰上げの声高し」(1942年5月25日)

299 「懐かしの葵丘へ」(1943年6月25日)

300 「学徒出陣におくる 征け学徒逞しく 校長教授等が餞けの辞」(1943年10月30日)

301 「日の丸を肩に決意も新た 葵ヶ丘に轟く撃敵の誓ひ」(1943年10月30日)

302 「仮卒業式挙行さる 於本校講堂」(1943年11月25日)

303 本校臨時徴兵検査判定調書送付の件(1943年12月7日)

第三節 敗戦と国分寺移転

第一項 国分寺移転

304 「東京大倉商業学校廃止認可」(1946年4月15日)

305 「学則中変更認可〔定員増加・授業料の増収につき〕」(1946年6月6日)

306 「位置変更認可〔国分寺移転につき〕」(1946年7月25日)

307 「文部省告示第九十八号〔国分寺移転認可〕」(1946年8月6日)

308 「寄附行為中変更について〔国分寺移転にともなう変更〕」(1946年11月13日)

309 「学則中変更認可〔授業料増徴につき〕」(1946年11月27日) 801
310 「学則中変更認可〔入学検定料・入学金・授業料の増収につき〕」(1947年4月7日)

311 「大倉経済専門学校授業料変更について報告」(1947年9月18日)

312 赤坂・国分寺の土地交換につき認可(1949年8月12日)

313 機密文書・設備の処分方につき文部省からの指示〈1945年8月下旬〉

314 古館市太郎書翰 門野重九郎・大倉粂馬・大倉喜七郎宛〈1945年9月〉

315 「昭和二十一年度定時協議員会開催之件」(1946年1月20日)

316 「封鎖預金支払許可申請書」(1946年8月6日)

317 「寄附金募集許可について申請」(1946年11月4日)

318 「第一封鎖預金支払許可申請書」(1946年11月4日)

319 「昭和二十一年度財団法人大倉商業学校協議員会決議書」(1946年) 

320 「職員臨時手当給与に関し伺〔大倉経済専門学校から理事代理皆川多三郎へ〕」(1947年7月)

321 「住宅緊急措置令第二条に依り使用権設定について異議申立書〔校長関太一から東京都建設局長へ〕」(1947年8月29日)

322 「臨時理事会議事録〔土地建物の不動産売買契約締結につき〕」(1948年10月1日)

第二項 占領下の学生

323 「入学志願者心得」(1945年10月)

324 「英語会話日曜講習会案内」(1945年)

325 「学生大会決議事項」(1946年2月22日)

326 「教授会議案」(1946年3月6日)

327 「教授会決議録」(1946年10月7日)

328 「学生大会決議事項」(1946年10月22日)

329 教授会議事録(1946年10月24日)

330 「学生生活の動態 案外少いアルバイト」(1948年2月20日)

331 「大倉の御感想は 夜間部女生徒に聞く」(1948年7月13日)

332 「学生互助会等の自治団体及学生援護団体について」(1948年7月16日)

333 「英語劇復活 於、毎日ホール」(1949年2月24日)

334 田中祐之「「雑草」よ、根強くはびこれ」(1947年1月10日)

335 「演劇部発足に際して」(1947年1月10日)

336 音楽班「班室の一隅にて」(1947年1月10日)

337 「文芸部便り」(1947年1月10日)

338 渡辺亘「再刊に寄せて」(1946年12月)

第四節 新制大学への模索

339 「学則変更認可〔夜間部設置につき〕」(1947年4月17日)

340 「大倉経済専門学校学則中一部変更〔別科設置にともなう学則変更につき〕」(1947年4月23日)

341 関太一「新制大学移行について」(1947年12月15日)

342 「寄附行為変更について」(1948年4月8日)

343 「自作農創設特別措置法第五条第三号の規定による指定について大倉経済専門学校より指定申請」(1947年〈10月〉3日)

344 「最初の卒業生を送る夜間部」(1949年10月15日)

345 「教授会議事録〔ミッション化・夜学設置の件等〕」(1947年1月24日)

346 「連合教授会議事録」(1947年2月24日)

347 「臨時協議員会開催ノ件」(1947年3月)

348 教授会議事録(1947年10月10日)

349 「財団法人大倉商業学校改組について」(1947年11月5日)

350 教授会議事録(1948年6月9日)

351 「理事会及懇談会議事録」(1948年6月25日)

352 教授会議事録(1948年9月25日)


 あとがき